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戦争と性−進駐軍慰安婦より

1イカフライ:2003/10/14(火) 13:06
 このスレッドは、立てようか立てまいか、迷ったのですが。

 別の掲示板でこんな話が出ました。

 終戦直後(これは、日本の戦後です)米軍が日本に駐留し、その際に、治安悪化、特に、基地周辺での女性に対する性的暴力が頻発しました。
 この対策として、当時のお偉いさん達が、そういう商売を生業としていた女性たちを集めて、基地周辺に米兵の為の慰安所を作りました。
 それによって、といえるかどうかは、断言できませんが、一般女性への性暴力は減り、敗戦国としては、かなり治安は守られた。
 また、それによって日本に流れたドルは、戦後復興の一助にもなったかもしれません。
 マクロでみればそうかもしれませんが、実際にそれ(米軍相手の慰安婦)に従事した女性たちの中には、性病を煩ったり、望まぬ子供を身ごもった女性も少なくないでしょう。
 数々の悲劇はあったと思います。
 けれど、この方法によって、多くの女性が守られた、ということも事実でしょう。

 こういった内容でした。

 私は、当時としては、そうするしかなかったと思います。

 軍隊において、特に戦時に於いて、こういった問題は、おこりがちです。
 従軍慰安婦問題をそうですし、ベトナム戦争の時にも、米兵とベトナム女性との間での問題がありました。
 戦争ではないですが、カンボジアでのPKOでも、同種の問題がありました。

 戦争と性、答えの出る問題ではありませんが、これについて、考えたいと思います。

 いろいろなご意見、お願いします。

577中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/05/15(土) 14:58
慰安所設置の概要は記述してきた通りですが、慰安婦はどのようにし
て集めたのでしょうか。ここに「ぬけられます」で有名な玉の井の組
合長であった国井茂氏の聞き書きを転載します。一部中略しています。
また、読みやすいように行間を空けている箇所もあります。

---------------------------------------------------------------
 昭和十二年(1937年)十一月、第二次上海事変で上海が陥落し
て間もない或る日、玉の井銘酒屋組合長国井茂宛に一通の電報が舞い
込んだ。

 「キタル二〇ヒゴゼン一〇ジリクグンショウマデシュットウセラレ
タシ」
(転載者注:来たる二十日午前十時陸軍省まで出頭せられたし)。

 実際には陸軍省何局とか何部何課とか指定があったにちがいないが、
筆者にその話をした時の国井さんは八十歳を超える老齢だったので、
そこまで細部を記憶していなかった。

 第二次上海事変で日本と中国が全面戦争に突入した時期だったので、
この非常時に淫売宿をやっているとは何事かという叱りを受けるので
はないかと、国井組合長は最初に思った。

 そこで国井は、副組合長や組合の幹事たちに、どうしたものかと相
談してみた。

 誰も明快な判断を下せる者はなかった。

「陸軍省ともあろうものが、公式文書ならともかく電報をよこすなん
て、こりゃアわれわれの商売を嫉んだイヤガラセじゃないのか」

 そういう者があった。

「本当に陸軍省のお達しなのかどうか、問い合わせてみてはどうだろ
う」という意見も出たが、それもかえって藪蛇ではないかという危惧
の方が強かった。

 何しろ弱い商売である。もともと法網をくぐる密淫売で、月に一回
業者の誰かが、二十九日間の拘留を食う慣行で、警察との馴れ合いと
はいうものの、辛うじて営業を続けているくらいだから、お上の一言
でたちまち明日からでも営業停止を食う心配がある。

「こうなったら一か八かだ。ともかく行ってみたらどうだろう。悪戯
なら悪戯でお手数をかけましたとあやまって引き下がればいいじゃな
いか」

 結論はそういうことになった。

 昭和六年満州事変がはじまってこの方、業者も相当神経を使って来
ていた。出征兵士があれば、酌婦を督励して愛国婦人会の襷をかけさ
せて歓送させ、慰問袋を作っては陸軍恤兵部へ寄贈させもし、国策遂
行へ協力して来た。

 それというのも、時局柄怪しからぬと睨まれたら、五百軒の玉の井
特飲街の銘酒屋は潰滅し、千人を超える酌婦に投資した資本は回収が
つかなくなる。文字通り死活の問題だった。続きます。

578中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/05/15(土) 15:00
続きです。
 銘酒屋を十数軒持つ有力業者の国井の場合は、賽がウラ目に出れば
受ける打撃も大きい。電報で指定された十一月二十日、神ほとけにで
も念じたい気持ちで、市ヶ谷台の陸軍省へ出かけて行った。

 電報はイヤガラセでも悪戯でもなかった。受付で来意を告げると、
意外な鄭重さで一室へ通された。しかも赤い絨緞を敷きつめた立派な
応接室風の部屋で、モロッコ革の肘掛椅子やマホガニーのテーブルが
配置されている。

「よう、あんたもか」

 肘掛椅子から首をめぐらして声をあげたのは、亀戸銘酒屋組合の組
合長森脇幸三郎だった。ほかにもどうやら同業者らしい連中が四、五
人、いずれも落ち着かない様子で椅子にかけていた。

「何だね、いったい今日は」

 国井は森脇の横へかけてささやいた。

「わからないんだ。実は悪い予想をして来たんだが、それにしちゃ待
遇がよすぎるしね」 森脇も狐につままれたような顔である。

「せいぜい営業を自粛しろってとこかな」

 不安の中から少し希望が生まれた。

 その時、靴音が廊下からはいって来た。

 たぶん若僧の少尉ぐらいだろうと思っていたが、先に立ったのは参
謀肩章を吊った金筋四本に星一つ、少佐である。そのあとに副官らし
い少尉と下士官が従っていた。

 一同はバネ仕掛けのように起立した。

「どうぞかけて下さい」

 少佐は微笑さえ含みながら、民間人のようなくだけた調子でいって、
一同と向かい合う席を占めた。

 国井は眉に唾をつけたい気持だった。猫と見せかけて油断させ、突
然虎に変じるのは軍人のよく使う手である。

「さアどうぞ」
と、少佐はしゃちこ張っている一同にもう一度すすめ、席につくのを
待って、
「本日はいそがしいところを皆さんご苦労でした。お集まり願った趣
旨をこれから簡単に説明しますが、その前に出席者を一応確認させて
もらいます」

 少佐がそういうと、下士官が手にした卦紙を開いて、一人々々の氏
名を読み上げはじめた。それも呼び捨てではなくて、「さん」付けだ
った。最初の者が立って返事をすると、「どうぞそのまま」といわれ
た。

続きます。

579中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/05/15(土) 15:02
続きです。

 それが終わってから、少佐はテーブルへ体を乗り出した。

「大陸における現下の戦局がどういうものかは、新聞やラジオの報道
で皆さんよくご存じと思うが、いくさはこれからいよいよ拡大の一途
をたどるものと思います。敵も徹底抗戦を呼号しておるから、最後の
勝利をおさめるまでは、こちらも相当な覚悟を持って臨まなければな
らんでしょう。ところで……」

 少佐が言葉を区切って一同を見廻したので、国井はそら来たと呼吸
を詰めた。

「戦線の将兵ですが、いくさが長引けばいろいろと不自由なことが出
て来る。特に若い血気の兵隊にとっては、性欲のハケ口をどうするか
ということが大きな問題です。これは適当に処置しないと士気にも影
響して来る。こういうことは専門家の皆さんの方がよく知っておられ
るが……」

 業者の間から忍び笑いが洩れて、座の空気は急にほぐれた。営業停
止はおろか自粛もまず大丈夫らしい。

「そこで皆さんにお願いだが、軍の慰安のために接待婦を至急集めて
戦地へ渡ってもらいたい。つまり軍に代わって慰安施設を開いてもら
いたいということです。何ぶん戦線は広汎にわたるので、内地はもと
より台湾・朝鮮からも自主的に或いは軍の要請で、すでに多くの娘子
軍が大陸へ渡っているが、本日お集まり願った玉の井・亀戸地区の皆
さんにも、是非ご協力を願いたい。派遣地域はとりあえず上海を起点
とする中支方面、住居は軍が準備するし、食事の給与その他移動に関
しては、すべて軍要員に準じてこれを行ないます。細かい点について
は当方の担当者と相談の上でやっていただくが、要するに業者の皆さ
んが自主的にこれを経営するという形を取りたいのです。まさか軍が
女郎屋を経営する訳にはいかんのでね。はっはっは」

 少佐は参謀肩章を揺すって笑った。




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