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戦争と性−進駐軍慰安婦より

527中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/04/07(水) 23:45
>>513
この事例の証言です。ディスプレイ上で読みやすいように適宜改行しました。

ジャンヌ・オヘルネさんの証言

私は最初、アンバラワ収容所に、母と二人の妹といっしょに入れられました。約二年間そこにいました。1944年2月のことでした。収容所の重労働から戻る途中でした。突然収容所が騒がしくなりました。日本の軍人たちが大勢トラックで到着したのです。

最初、点呼のために呼び出されるのだと思いました。しかしそうではなく、「十七歳以上の独身女性は中庭に整列しろ」という命令が出されました。私たちはこの命令に不吉な感じを受け、何か変だと疑わしい気持ちになりました。「あなたもそうよ、ジャンヌ」、母が言いました。その声は震え、目は恐怖に満ちていました。

(中略)

彼らは歩きながら、にやにや笑ったり、指をさしたり、私たちの体に触ったりしました。何か話し合った後、半分が帰ってよいと言われました。私は長い列に残されたままでした。恐ろしさで体全体が震えていました。

そこからまた誰にするか選び、最後に十人の少女が前に出ろと言われました。その他の少女たちは心配する母親の元に帰ってゆきました。私は残った十人の内の一人でした。

女性たちの泣き声や叫び声が聞こえてきました。勇敢に日本人にはむかい、私たちを取り戻そうとしているのです。

(中略)

みんな泣きながら無理やりトラックに入れられました。六人の少女が、新たに私たちのみじめなグループに加えられました。結局十六人の少女が、不本意にもアンバラワ収容所から連れてゆかれたのです。

(中略)

私は逃げ場を失った獲物のように部屋の隅にうずくまりました。「神様、助けてください」「神様、ここから私を救いだしてください」と祈りました。

男が完全に優勢でした。開館の夜に大金を払った彼は、明らかにいらいらし、ものすごく怒っていました。鞘から取り出した刀を私に向けて脅しました。私は殺されてもよい、死ぬのは怖くない、どんなことがあっても体は許さない、そう言いました。

「止めて、止めて」「ジャンガン、ジャンガン」何度も繰り返しました。でも男は刀をしまおうとはせず、刀を私の体に当て、殺すぞと脅し続けました。殺す前に祈りをあげさせてくれと頼みました。

しかし男は、祈っている間に服を脱ぎ始めたのです。殺す気なんかなかったのです。私が死んだら男にとって何の役にも立ちません。我慢しきれなくなった男は、私をベットにほうり投げました。そして服を破って脱がせ、上に乗ってきました。

重い体で私は身動きできません。払いのけようとし、蹴ったり引っ掻いたりしましたが、相手は余りにも手強すぎました。強姦される私の頬に涙が流れました。それは際限なく続くように思えました。

この最も非人間的で残虐な強姦は言葉では表現できません。私にとってはそれは死より残酷でした。やっと男が部屋から出ていっても、全身が震えで止まりませんでした。破れた服を体に巻き、風呂場に駆け込みました。汚れと恥辱と傷をすべて洗い落としたかったのです。

お風呂にはすでに何人かの少女がいました。みんなショックで、お互いに慰めあおうとしましたが、どうしてよいか分からず、泣くばかりで、今起きたことをすべて洗い落とそうと、体をごしごし洗いました。私は食堂には戻らず、どこかに隠れようと決めました。裏庭にある部屋に隠れました。体が恐怖で震えていました。「二度といや、こんなこと二度とできない」そう思いました。

しかし、しばらくしたら怒鳴り声と足音が近づいてきて、私はまた引きずり出されました。夜はまだ終わっていなかったのです。まだたくさん日本人が待っていました。恐怖がまた繰り返されました。これほどの苦痛を味わったことはありませんでした。そしてこれはまだ始まったばかりでした。




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