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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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>>497
兵站について。
「うまく実現できなかった点はあるが(輸送手段が馬だったりしたし)、
兵站計画はあった」
「日本の内地からの物資輸送については、制海権が奪われる前は
順調だった」
「大陸では物資が剰っていて、けっこういいもの食ってた」
「物資の輸送が滞り、餓死者を出すような展開になったのは、南方の
離島(ガ島など)など、制海権を奪われて輸送ルートが途絶した地域
だが、それらの離島には物資を現地調達する現地農民もほとんどいな
かった」(何度も言うが大陸は肥えてた。ちなみに半島は当時「日本の
一地方」であったので、そこでの物資調達は「強奪」じゃなくて「徴用」)
ので、「兵站という概念が皆無だった」という指摘が、戦争のどの段階
の、どの戦闘地域を対象にした指摘なのかについて、詳しく説明した
上でないと、「日本軍は(全般に)兵站計画がなく、(全般に全ての)
物資を現地調達し、(一切の必要物資を)略奪によって調達していた」
という、およそ軍の運営が一カ月たりとも続かないような理論になって
しまう。
「現地調達」は、開戦前からそういう計画だったのか? それとも、
戦況が悪化する中で物資輸送が困難になった結果、「現地調達で
乗り切れ」という命令が下された、ということか?
もし、「輸送手段の悪化によって物資が欠乏し、これを現地でまかなえ」
になったのだとすると(ガ島のケースなど)、そんな状況下で(しかも
調達すべき対象もなさそうな場所で)無駄飯食いの非戦闘員の売春婦
を調達する手段とメリットはどのように説明するのか?
「大陸ではけっこう飯が食えてた」という話は、
・戦時中、半島は内地に対して米を「輸出」することで外貨を稼いでいたこと
・終戦時、半島及び満州には「商売をするための民間人」が残っていて、
終戦と同時に引き上げてきたこと(それまでは非戦闘員が飯を食える
程度には物資があったということ)
・大戦中、戦車乗りとして大陸にいた司馬遼太郎や複数の「高齢または
故人となった作家」が、「大陸では菓子を食うこともできた」のに「引き
上げてきたら内地が凄いことになってて驚いた」というエピソードのエッ
セイ・コラムを書き残していること
・大陸の陸軍の飯事情についてのサイトが語る、「当時のメニュー」の
内容から推察される物資状況
など、複数のソースからの推論。
繰り返すが、「南方の離島に置き去りにされた陸軍の悲惨」を持って、
「北方の大陸に駐留していた陸軍の行為」を断じるのはおかしくないかい?
ということで、「いつの話で、どこのこと」というのは例を引くにしても大事
なんでないかいと思った。
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