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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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占領政策の話。
二次大戦における日本占領と、ドイツ占領、さらにはアフガン占領とイラク占領っていうのは、どれもスタート地点が大いに違う気がします。
というのは、日本は降伏を受け容れて武装解除はしたけど、政府組織も地方自治体も治安のための組織(警察)も、少なくとも「人的組織」は残っていた。三国人による無法状態や占領軍の一部による無法状態は当然あったけれども、それでも「社会体制」は、戦前からの議会が戦後直後は引き継ぎ、公職追放があった後も、「選挙で議員・内閣を選ぶ」という、社会体制の回復はわりとスムーズだった気がします。
それは、「もともと(戦前)、そういう社会体制を持っていたから」に他なりませんし、降服を宣言して、それを受け容れる決定をしたトップに対して、大部分の国民が従ったことも大きかったでしょう。「粛々と停戦と武装解除を受け容れる」とゆう。
これに対して、アフガン・イラクというのは、「降服を受け容れて宣言するはずの政府首脳」を確保できていない(それまでの権威への追従による降服受け容れや、それまでの権威を公開した上で交替させるという手続きを踏んでいない)ことが最大の問題ではないのか、と。
戦闘終結宣言をしたところで、対戦国の政府首脳は「生きて確保できていない」わけです。
社会組織というのは、権威の種類が民選だろうと独裁だろうと王政だろうと、基本的には「上からの命令や強制、指示が降りてくる」形で機能すると思うんですけど(代表を選出するときと、選出された代表の指示に従うときは、方向が逆ですし)
権威&命令系統の頂点をいたずらに「粉砕」してしまったため、社会体制を再構築する「基準」や「強制に従わせるための権威」までも喪失してしまっていることが、米軍の「アフガン・イラク」に対する最大の失敗なんでないかなぁ、と思います。
日本の降伏>占領受け容れ(旧軍の武装解除)>社会体制の回復がスムーズだったのは、「議院内閣制」が失われなかったことと、「天皇制」のメリットが最大限に生かされた結果だと思ってます。
日本の場合、降服の瞬間は少なくとも国のトップは天皇陛下だけど、政治のトップは東条英機だった、と。で、裁かれたのが東条英機であって、天皇陛下が裁かれなかったことが、占領政策をスムーズにしたのではないか、と。
もし、あの時点でマッカーサーが天皇陛下を戦犯にしていたら、武装解除は進まず、また旧軍の残存兵力による「カミカゼ的抵抗」というのが続く可能性は多分にあったでしょう。
(カミカゼ攻撃はほとんど役に立たなかった、と言われる一方で「占領後もあんなのが来るのは困る」というプレッシャーとしては機能したわけで、無駄ではなかったと信じております)
占領軍が被占領国で占領政策を推し進める上でもっとも重要なのは、被占領地の国民にとっての「権威」を最大限活用することでは、と思うわけです。
その意味で、イラクは「利用すべき権威」と「倒すべき独裁者」が同一だったり、「イスラムという権威」を上回る「民主主義という権威」を置こうとしたりで、今ひとつうまく行ってない、と。
そうした状態の占領軍に対して、被占領国の人々がすべきことは、「一体感」「国としての一体化」なわけですな。
もし、「主権国家として、占領国と対等の交渉をしよう」と思ったら。
でも、主権国家(というヨーロッパの必然によって生まれた概念)の資格と義務と意味が、十分に居住民に理解されないと、「国として一体化する意義」そのものが必要と思われない、かもしれない。
そうなると、イラクのケースなんかでは「旧バース党員系イスラム教徒の派閥」と「シーア派系イスラム教徒の派閥」に割れたり、シリアとまたがって住んでいる同一宗派の民族とひとつになろうとしたり、旧イラク領土にシリアが介入してきたり、トルコの介入があったりで、およそ国の形を留めなくなる可能性もちらほら。
重要なのは、「被占領地の国民は、自分たちの居住地域をひとつの国として自律/自己支配していく覚悟があるかどうか」っていうことに帰結するのではないか、とも思います。
一連の「性犯罪を巡る、被占領国の態度」というのも、その代表者(及び被害者たる国民自身も)が、「占領を受けている、しかし我々は我々の国を我々の手で運営しなければならない」という自覚を持てるかどうかに、結局は左右されてしまうのではないかと思ってみたりみなかったり。
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