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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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>>1081
大神さんは、軍の立場に寄り掛かって慰安所の必要を説いていますので、
私は沖縄住民の視線から眺めて慰安所がどのようなものであったかを説
明します。
沖縄での慰安所の設営は、次のように分類されています。以下のように
概観しますと、これらの慰安所を個々に遊廓として申請したとは考えら
れず、軍の私娼窟としての慰安所だったとの思いが深まるばかりです。
(『日本軍性奴隷制を裁く──2000年女性国際戦犯法廷の記録
第3巻 「慰安婦」・戦時性暴力の実態 1──日本・台湾・朝鮮編』(緑風出版))
1.軍が新たに設営する
2.公共施設を接収する
3.商工業施設を接収する
4.料亭を接収する
5.旅館を接収する
6.民家を強制的に接収する
7.空き家を接収する
部隊は、駐屯地に着くと迅速に慰安所設営に入った。
1の場合、四四年四月二五日伊江島に着いた、要塞建築勤務第六中隊は、
五月二四日の日誌によると「(略)一、中隊ハ明二五日建築中ノ兵寮ヲ
物品販売所ニ改築シ新ニ慰安所建築作業ニ任ゼントス」とある。この慰
安所については、日誌に設計図があり断面、正面、平面図が引かれ、建
坪一五三・四一平方米とある。土間は一九室に仕切られている。他にも
小浜島の場合は、「各家庭から畳二枚出せと軍命が出され、学校の床板
もはぎとって完成した」という証言がある。
2の場合、検事正官舎が接収され、司法の管轄も越権した軍部の横暴振
りがうかがえる。石部隊は、浦添の「村屋」と呼ぶ地域の集会所を接収
している。病院も接収された。
3の場合、砂糖工場、風呂屋、帽子工場も慰安所になった。
4の場合は、「軍専用」になった石垣島の「田本屋」などがある。
5の旅館を接収したケースが、沖縄南部の糸満と北部の名護にあわせて
四軒ある。
6のケースが六一カ所もある。住居を軍命で取り上げ、住民は追い出し
たり、馬小屋に移したりして強制的に使用した。
7の空き家の場合、疎開で本土や、台湾へ行った後の空家が、勝手に使
用されたり、かつての尚王家の別荘も使用された。しかし、建物だけで
なく避難壕、洞窟も慰安所になった。
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