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126
:
イカフライ
:2003/08/12(火) 09:16
>>120
>ただ僕がいつも中心に据えるのは、鳥瞰視的な理想状態の実現よりも、今すぐに
>実現可能な幸福とは?或いは不幸に耐える術とは何か?という問題意識なんです。
>戦禍に巻き込まれても、強制収容所に送られても、差別に晒されても、必ず
>幸福になれる道があるはずだし、実際人間にはそれが可能でした。
>被差別部落民やハンセン氏病患者の境遇が悲惨でなかった筈はないのやけれど、
>彼らに実際接して、僕なりに色々調べ愚考を重ねてみた結果、僕みたいな
>もんでも彼らのように生きられるんやないかと思い至ったんです。
>もしか僕の問題意識、幸福論は、不幸に耐えるだけの思考なのかも知れませんが、
>それを基礎に置かないあらゆる理想や正義なんてものを、僕は重用する気に
>なれないんですよ。
悲惨な状況で、尚且つ、幸福を持ちつづけるということは、なにか?心のあり様、ではあるけれど、それは
「宗教」
かな、とか思うんだ。
人間って、幸せな時は人にも優しいし、気持ちも前向きだよね。不幸だと、ひねくれたりひがんだり、人を自分と同じ所まで貶めようとしたりする。
それほどの極限状況でなくて、それこそ日常的なレベルでもそういうことってあったりする。
中島みゆきの「幸福論」って歌でも唄われてるように、さ。
クリスチャンの人がね、辛い事や悲しい事に直面したとき、それを神が自分に与えたもうた試練だと思って、感謝して受けとめる、というんだよね。
例えば、マザ−・テレサとかがあれだけの活動が出来たのは、その強い信仰があったからなんじゃないかな?
世界はあまりにも悲惨で、人間はあまりにも無力だ、その中でなにかを成し得ようとするとする時、その心の支えになるのは、人の世の表層的な現実を超えたものが、人の心を支えるのではないか?
なんて思うのですが。
ただ、これは反面、結局、現実にはどうにも解決できない事をごまかす手段に過ぎない、という皮肉な見方も出来るんだよね。
実際、「神が与えた試練だと思って感謝して受ける」というのが、自発的な信仰からでたもんならまだいいけれど、他者の悩みや苦しみに対してこれいっちゃたら
「なめとるんか、ワレ」
じゃないっすか? なんの解決にもならんし、それ以前に、不誠実だよね。
それなら、私にはあなたの悩み苦しみに関してなにもできません、ゴメンナサイ、って言えよ、せめて。
いるかいないかも解らない神様に責任転嫁するなよ。
ワシは、中学生の時、一時期教会に通っていた事があって、まあ、そこで出会ったクリスチャンやら、あと学校の宗教教育(そ-ゆ学校だったんで)やらで、あまりいいもんに出会わなかったもんで。
まだ、社会主義の方が、具体性、現実性があるんじゃないか、なんて思いもしてさ。
実際、昔はキリスト教に失望して社会主義者になった人とがいるんじゃないかな、ほら「なにがわたしをそうさせたか」とか書いた女性もそうだったよね。
ところが、ワシが小学校6年生の時、あの連合赤軍のリンチ事件が起こっている。当時の新左翼だけを社会主義というつもりはないが、あれは、ショックなのだ、今でも尾を引いてるくらい。
社会主義革命、っていうのも、そう考えると、本当に世の改革にはならんのじゃないか?
なんぞと悩んだりして。
かくしてワシはノンポリになったのでした。
と、まあ、自分のことばかり言ってもなんだけれど。
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