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反・反戦派の方々へ
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続きです。
4について。
本音と建前との間に整合性のある理論って、どうも説得力があるものは、記憶にありません。
当たり前です、本音と建前って違うんですから。違うものを整合できるわけなんです。
で、この本音と建前の整合性って、どんな時に見られるのか?
この一番が戦争のプロパガンダだって気がしますね。
「我々は決して戦争を望んではない、しかし、敵の指導者(または、指導部)は悪魔のような人間(達)」であって
「我々は、かの国の民衆を悪魔のような指導者から解放する。」とか。
「我々は、国家人民の安全のために自衛手段としてやむなく戦争と言う手段をとらざるを得ない」とか、
まあ、ほかにもいろいろあります。
今回のアメリカだって、テロの脅威から国民を守るとか、イラクの民主化とか建前を並べたわけですよ。
ただ、あまりにそのごまかしが稚拙過ぎて、説得力のなさが目立ちすぎただけであって。
で、この本音と建前ですが。
反戦意見が建前の様に感じるのは「他者の命や痛みを我がものと同様に感じる」という意見が現実と違うから。
そのあたりでしょうか?
確かに、人間が我が身を投げ出せる範囲は、せいぜいが自分の身内や恋人程度でしょう。
自分の子供のために死ねる親は多いでしょうが、他人のしかもみずしらずのよその国の子供のために命を投げ出せるのは、それこそ、宗教的境地に立った聖人とかでのない限り、無理です。
けれど、その辺のおばちゃんやニイちゃんが、他人の命や痛みに全くなにも感じないか?
と言えば、それも「ノ−」なのが、現実です。
殆どの人は、人間が不当に死んでいく、殺されていくことがイヤなんですよ。
幼い子供が飢えて死んでいくのがイヤです。
爆弾で命を失う子供がいるのは、イヤなんです。
子供が無理矢理兵隊にされて、あげくに戦死するのはいやなんです。
幼児が両親に虐待されたあげく殺されるのはイヤです。
ロリコン変態に誘拐されて殺されたり、小学校に乱入されて刺し殺されるのは、イヤなんです。
「子供が死ぬというのはやめろ」という意見もありますが、子供が死ぬのはイヤなんです、殆どの人は。(まあ、子供だけではありませんが)
1の無視・放置派の人の中にも、見ると知らざるを得ない、知ってしまったら考えざる得えない、だから無視を決め込む、という人もいますよ。
だから、人の痛みや命を我が事のように感じる、というのは、建前ではなく本音だと思うんです。
( ぼ-ん教信者がきっと多い、という根拠はこの辺ですね、きっと。)
戦争は仕方ない、というほうがむしろ建前で、戦争はイヤ、というのは、本音だと思う。
「こうありたいが現実はなかなか思うようにはならない」
結論すればこんな感じでしょうか?
その「こうありたい」は、本音だと思うんですけれどね。
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