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反・反戦派の方々へ

159柏葉英一郎</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/05/12(月) 23:49
次は「本音」と「建前」について。
ぼーん氏の主張によれば、この間の矛盾を指摘することに意義があるという主張でした。
で、私なりに、矛盾点を指摘された場合どうなるかを考えてみました。

 1.無視・放置。
 2.建前をとる。
 3.本音をとる。
 4.本音と建て前の間に整合性を求める。

1は臭い物にはふた、都合が悪いから無視ってことですね。
で、その矛盾点を先送りにすると。
表面だけ綺麗事を言い、裏では全く違うことをするわけで。
ダブスタ、偽善とも言いますね。
まあ、こういう輩は実際にいますよ。
某政党など特に。

次に2。
本音を捨てて、建前をとる。
理念を自分で設定し、それに向かって努力するということですね。
もしくは、そうであろうとする。
要するに、理想論を実践すると。
儒教なんか、これにあたりますね。

お次に3。
これは『何の役にも立たない建前など、くそ食らえ!』ってな具合に、建前を捨てて本音に突っ走ると。
一種、開き直りとも言えますが、現実主義とも採れるでしょう。
現在、憲法九条を変えろと言っているのは、これにあたりますね。
何の役にも立っていないから、こんなものは捨てちまえと。
まあ、その都度、利益になることを選択するのですから、柔軟性はあります。
ただ、行きすぎるとマキャベリズムに陥る可能性はありますけど。
私はどちらかといえば、この立場に立っていますが。

最後に4。
本音と建て前の間に、何らかの理屈を付けて正当化するもの。
具体例で言えば、自衛隊。
憲法九条との間の整合性を求めるため、『軍隊ではない自衛隊だ』『軍事力ではない防衛力だ』ってな具合に。
また、昔のキリスト教が『殺すなかれ』と言っておきながら、異教攻撃のために、『異教徒は人間ではない』って屁理屈をつけたのもそれかも。
共産主義における「人民の敵」ってのも、よく似てはいますが。

どうやら、ぼーん氏&武蔵氏は2を指向しているみたいですが(というか、そう見える)。
1、3、4についてはどうでしょうか?




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