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イラク攻撃、日本はどう出る? どうする?
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>>247
例えば人間の楯。
私は「人間の楯という行為」を正しい選択だとは思いません。
だから、自分にできる行動として、人間の楯を批判するし、文句も至る所で言うし、知り合いが行くとクチにすれば留めるし、
何より「自分自身はそれをしない」という選択をしています。
「命がけで行動する」の、「命をかける」のは、行動者個人の主体的な選択ですから、「命をかけているのだからオマエも命をかけろ」という強制(もしくは「同程度の覚悟がない人間は一言も言うな」)には同意できません。
我々は、民主主義の定める「意志決定」に対しては、「有権者」という立場で関わっています。
報道やその他の方法で情報を得、その上で「有権者の立場から政権の選択を支持するかどうか」を表明する機会(一般的には選挙です)に反映させています。
ニュースを見るなり、人と話をするなりして選挙にちゃんと行く。
逆に言えば、それ以上のことをしなければ「事態に参加したことにならない」のだとしたら、現状の「議会制民主主義」「選挙により間接的に議論を行う代議士を選出する制度」「間接的に選出された代議士の投票によって行政のトップである首相を選出する制度」などのすべてを見直す必要があるのではないかと思います。
ただ、「そのときそのときの気分(=世論)を反映する直接選挙」と「事情に詳しくない有権者の知識能力を専門家が補う間接選挙」のどちらが、「政治に詳しくない有権者(というより、有権者が政治を強く意識し続けなくても政治が行われる)」の負担を軽くするかと問われると悩ましいところです。
我々の両親、大学を卒業したばかりの従兄弟、そうした「政治が専門ではない人」に、広く「正しい判断を下させる」ことをある程度義務として課すならば、「選挙を頻繁に行う」「選挙前に有権者に十分に政策判断のための講習期間を設け、それらの選挙講習を義務化する」なども必要です。
そうしたことが実現されない(つまりは制度が現状維持)なら、実際問題として「明日、戦争が起きそう」であっても我々にできることは「半年後の選挙を待つ」だけです。
現実はそうだと思います。
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