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中国の反日教育
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さて、一端戦況から話は転じるが、町に人はいなかったのか?
前にも出ていたが有賀博士の言だと死者は2千でその殆どが盛年男性で
あった。また前にも出ていたが、TIMESの記事でも虐殺数は200で、
面会でもそのうち誤ってごく少数の婦女子が殺されたと言っている。
さて、新聞報道や証言で共通するのは何であろうか。それは戦闘後町に
人が殆ど残っていなかったと言うことである。日本の新聞記事も、日本軍人
の言葉でも、外国の新聞記事でもそれは一致している。
町の人が避難していないのなら、死者の極少数が婦女子や死者の殆どが
盛年男性ということにはならない。では町の人間は避難途中だったのか?
町に人が残っていないのは、そこにいた人間は捕虜となったか死んだかと
いうことになる。先に書いたとおり既に市街には2千をゆうに超える清兵
が存在していた。戦闘後清兵の捕虜は約350人であるから、死んだ清兵
は2千強となる。つまり死者が2千なら清兵や清軍に徴用された15歳以上
の男子だけでその数は満たせる。また前にも書いているが、清軍の同士撃ち
の死体もある。
まとめると
死者は 多くの言葉より2千程度
戦闘後は 町には人は残っていなかった
死者は 殆どが清軍関係の盛年男性で婦女子は極少数に留まる
より、市民に対する虐殺は起きていないと考えるのが妥当である。
そして便衣兵行為を行った時点で背信行為を働いているので平服の清兵を
攻撃することは仮に降伏の意志を有していても虐殺ではない。背信行為と
いうのはそれほど重い。また、当地の盛年男性の平服の清人を攻撃したの
ならこの場合は便衣兵が存在しているので、虐殺とは言わない。区別がつか
ないのだから。それは誤射だ。軍服を着た清兵の場合は、既に日本軍の降伏
勧告を拒否しており、またその後に責任を有する者が降伏の意図を示した訳
ではないのでただ単なる戦闘行為ということになる。
つまり、死者が二千程度なら、死んだ人間の内訳から市民に対する虐殺は
無かった、可能性としては戦場でよくある掃討が過剰になったがなきにしも
非ずという程度でこれとて虐殺と騒ぐことではない。
ベルギー公使も陸奥外相に戦場でよくあることであると会談で述べている。
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