したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日本の回天

123T.N.:2011/03/19(土) 05:01:23
 加藤周一著「夕陽妄語Ⅴ」収録の”神戸の地震”は、1995年1月に発生した阪神大震災を取り上げた文章で、
同年2月20日の朝日新聞に掲載されました。今読み返すと、余りにも感慨深いので、引用いたします。

 「神戸の大地震は、少なくとも一つの鋭い対照を示していた、と私は考える。すなわち一方では、行政の事前の
準備不足と事後の非能率が際立ち、他方では、市民の自制心と秩序だった行動が鮮やかに印象的であった。」
 「地震は行政の準備不足を暴露すると共に、「マス・メディア」も協力してつくりあげてきた日本のテクノロジー
の優越という「神話」〜と多くの人々が震災後に言い出した〜を破壊した。殊に特技とされた耐震構造の技術。(中略)
しかも政府は、自然災害に対して十分に有効な情報蒐集や救援活動のための組織・人員・装備を、あらかじめ用意して
はいなかった。」
 「事後に中央および地方行政の対応がおそかったことは、誰よりも現地の住民が知るところであり、新聞やTVにも伝
えられたところである。」
 「病院の大部分は潰滅し、わずかに残った病院には水道・ガスがない。その病院に対する行政の支援は、あきらかに
優先的でなければならなかった。その支援が迅速でなかったことは、不眠不休の医者・看護婦・病院事務担当者の証言
からも疑う余地がない。」
 「他方、神戸の市民は、いかに対応したか。TVの画面は、わずかな飲料水をもとめて給水車の前に長い行列をつくっ
ている人々を映しだしていた。誰も叫ばず、先を争わず、それはほとんど美術館の前の列のように、静かに整然として
みえた。同じことは、住居を失い、避難所に集まった人々についてもいえる。」
 「大地震はこの国の行政組織のおどろくべき非能率を暴露すると同時に、神戸市民のおどろくべき能力、〜危機に臨
んでの自制心と失われない秩序感覚を、啓示したのである。」
 「それは神戸市民だけのことであろうか。(中略)1945年3月の東京大空襲のときにも、〜私は焼け残った病院
で患者の治療に当たっていたのだが、市民が比較的冷静で、絶望的状況のなかでも自制心を失わないということに、強
い印象を受けた。神戸市民の態度は、少なくともその一面において、危機における日本国民の態度一般と共通している
のだろう。」
 「日常における危機対策の最大のものは、国民の生命財産の安全保障のために現実的な政策をとり得る政府をつくる
ことである。現実的な政策とは、いうまでもなく、安全を脅かす多くの要因のおこり得る確率の大きさに順って、対策
に投じる資源・人員・予算を配分する政策にほかならない。」


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板