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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
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:
尾崎清之輔
:2007/11/08(木) 01:20:19
『経済的合理性を超えて』(みすず書房)において、『日本人の考えている「経済的合理主義」に対して対抗原理として働く要因として、芸術ないし美という領域ないし観点があります』と喝破された中村勝巳博士は、その一例として、企業の社名や製品名を知らせるために多額の広告費を使い、ビルの屋上に巨大な広告塔を設置し、夜になるとネオンだらけになってしまう都市の夜景や、電車の中刷りや新聞の中にある広告だらけの状況に対し、果たして世界中を見渡してこのような行為が可能な社会は一体どこの地域に限られているかを考えてみる必要があるのではないかと述べており、そのような経済至上主義的な要求を抑える対抗軸として、芸術や美的な要求、また市民自治の伝統への誇りといったことが、欧州社会の根底に存在していることの重要性を語っております。
これは『人は何で生きるか、人は何のために生きるか、人はいかに生くべきか、社会や国家はいかにあるべきか、という究極の価値基準から一貫した組織的生活態度をとって生きようとする要求』であり、『人として倫理的命令に絶対に服しようという生活態度こそ、「経済的合理性」に真正面から対立』できるものであるとしております。
この緊張関係とバランスのとり方が肝要であり、「して良いこと、してはいけないこと」の判断基準になるはずですが、(特に昭和初期から現在に至るまで)日本はこのような形による社会の発展がされてこなかった(というより最初から対抗原理自体が欠けたまま経済的合理性の支配と貫徹が為されてきてしまった)ため、手段の目的化のみならず、行き着くところまで行ってしまい、結果、社会の分裂と内部崩壊により、その歴史的役割を終えて滅んでしまいかねない危険性を説いております。
但し、『健全な人間精神をもった人々がここで深い学問、高貴な芸術、すぐれた哲学と高い宗教を生み出し、広く国境と時代をこえて人類に貢献する途と可能性』は残されているとも指摘しており、そのためには永い眼(少なくとも100年きざみ)で見て、世紀単位で考えていけるような大戦略が必要ということになりますが、これは欧州社会が辿ってきた長い歴史にその範を求めることで何らかの道筋が見えてくるのではないかと考えます。
さて、そうは言っても、いきなり100年単位で考えていくことは、余程の訓練と冴えた目を持つ者でなければ、なかなか到達できる次元ではないでしょうから、一介の凡夫としては、そのようなことを頭の片隅に置きつつも、日々の生活に決して埋没されることのない自分、つまり藤井尚治博士が仰った『自由とは「Free from」ではなく「Free to」である』という言葉の重みを十分に感じつつ、平たく言えば『自由気ままに生きて』いけるだけの心の余裕は常に持っていたいものです。
正しく「忙しい」という言葉が「心が無くなる=心の余裕が無くなる」ことを防ぐ意味でも。。
このような心の余裕の持ち方こそが、自分の仕事とは全く関係の無いもう一つの(または二つ以上の)世界観を持つことに繋がり、延いては、専門バカという病弊に侵されないための知恵ではないでしょうか。
そして、このもう一つの(または二つ以上の)世界観を持つことが、より大きな枠組みの中で認められ、更に人類の共通言語や共通財産に繋がるような普遍的な妥当性にまで至ることによって、その人間の懐の深さや嘘・偽りのない衷心を示すことが可能となり、尚且つ人類の普遍的課題を自らの課題と同じくすることの出来る、本当の意味でグローバルに通用する人間へと育つことは間違いないのではとも考えます。
そのための第一歩として、余分な周りの状況から離れて音楽に親しんだり、無心・虚心になって絵を描いてみたり、自然の美を楽しんでみたりすることから始めてみるのも良い切っ掛けになると思います。
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