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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

2尾崎清之輔:2007/11/06(火) 00:19:20
1ヶ月半近く前のことになりますが、スタジオ・ジブリの絵職人として知られる男鹿和雄さんの展示会を鑑賞された方より、その作品群のアニメとは思えない美しさや繊細さについて高い評価をされていたことから、その後、所用で近くへ出向いた際に、折角の機会なので、近代美術館へ立ち寄ってみることにしました。

アニメ(ジブリ作品をアニメという括りにして良いかどうかは別として)には全く縁の無い私ではあるものの、数年前に行われた脱藩会の後、藤原さんを含む数名で二次会と称して他の店に移った際に、様々な話題に花が咲きましたが、その席上で、藤原さんとは非常に長いお付き合いのある方より、宮崎駿さんの作品群の話題が出ていたことを思い出したことも、このたび出向いた理由の一つでした。
また、男鹿さんご自身は分かりませんが、宮崎駿さんに関しては八切止夫史観に相当影響を受けていると伺ったことがあるので、それが男鹿さんを通じて実際の絵画にどのような影響を与えているかについても少々興味があったからです。
(ちなみに宮崎駿さんの作品群と八切止夫史観の関係性については、いずれ古史古伝大系を論ずる際に項を改めて行いたいと思います)

しかし、残念なことに連休中に出向いてしまったことから、チケット購入と入場までに90分待ちとなっていたため諦めることにしましたが、隣で「磯辺行久展」なるものが開催されており、空いていたのでこちらを鑑賞することにしました。

この美術家&環境計画家の磯辺行久さんは、御年72歳ながら、非常にユニーク且つ強烈なメッセージを、その作品群を通じて提示されてきている方であり、1950年代の抽象画から始まり、60年代にはワッペン型のモチーフを反復させたような作品群を数多く発表しており、そのワッペンの中には多くのシンボル(国旗、欧州の貴族の紋章、日本の家紋、企業体や各種組織体のマーク、王冠、ラベルなど)が、さながらミランダのオンパレードの如く大小取り入れられた作品もあったので、これはこれで大変興味を引きました。

その後60年代半ば頃の渡米により、二十世紀のダビンチと呼ばれた、科学者、哲学者、美術家の顔を持つ天才バックミンスター・フラーとの出会いにより大きな影響を受けた彼は、造形的な実験を通じて、より大きな枠組み、つまり自然環境を視座に置いた作品活動に従事することになったようです。

「ランドスケープ」と呼ばれることになるこれらの作品群は、70年の第1回アースディにおいてはエア・ドームという名称の作品を発表しておりますが、このドームの中では、船の帆の形をした非常に低消費エネルギーのスピーカーがあり、このスピーカーから流れる自然の音色がエア・ドームの中全体に渡って何とも言えない優しさを奏でておりました。

その後も数々のランドスケープ作品を制作してきた彼ですが、何と言っても圧巻であると感じたのは、2000年頃に発表された「イル・ド・フランス」作品であり、これはパリとその周辺地域を記した大きな地図(十畳か十二畳くらいの大きさ)の上に、生態系に影響を与える各種施設や汚染など(原発やBiohazard Facilitiesのある場所、強い電磁波の流れる場所、SO2やNO2が空気に乗った流れなど)の情報を重ねた形で表していたことから、その場に座り込んで暫く凝視してしまったと申し上げておきましょう。

今世紀に入ってからの磯辺さんの活動主体は、自然環境のあり方そのものに対するメッセージを強める方に向かわれているようで、自然体系に対してテクノロジーで挑戦し続けようとする人知の愚かさを、信濃川において元々あった川の流れを治水という名目で強引に変えたことに対する痛烈な批判を「川はどこへ行った」などの作品を通じて行っているようです。

それにしても出会いというものは不思議なもので、このジブリを見に行くことが無かったならば、磯辺行久という一人の個性的な芸術家のメッセージを知ることなく終わっていたでしょうから、全くの偶然とはいえ、私にあの「場」へ出向く切っ掛けを示して頂いた方に対して、ここで改めて感謝の意を表したいと思います。


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