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18幻視者:2006/03/04(土) 14:46:53
『「朝日」ともあろうものが。』(元記者 烏賀陽弘道著、徳間書店)
一番最後の部分のみSCANしましたので掲載します。
-------------------------引用開始------------------------------
 いま、ひとりの読者に戻ったぼくは、考えている。
 なぜひとびとは「朝日ともあろうものが」「天下の朝日」「エリート集団・朝日というふうに、朝日を持ち上げたがるのか。それは実は、歪んだ自己愛ではないのか。「われわれはかくも立派なー有能、清潔、寛大、勤勉なマスメディアを持つ国民である」とか「私は、かくも立派な社員が作る新聞を定期購読している人間である」という、病的な自己愛幻想でしかないのではないか。読者は「こんな立派な人たちが作っている立派な新聞」「こんなインテリが作っているインテリの新聞」を購読している自分に満足し、新聞社はそれを「読者の高い信頼」だなどと勘違いする。両者は実は共犯関係である。だから、おもしろいとも思っていない新聞に購読料を払ってとり続け、読みもせずに資源ゴミに直行、などという奇怪な行為を繰り返すのだ。

 言うまでもなく、そういう「朝日ともあろうものが幻想」を誰よりも喜んでいるのは、朝日社内の腐敗集団である。彼らは、読者が勘違いしつづけるのを願っている。いつまでも読者が自己愛幻想を抱いてくれるのを祈っている。社内のありさまに無関心でいつづけてほしいと望んでいる。見えないところでは自分たちがどんなことをしているのか、知ってほしくないと思っている。
 みなさん、提案があります。お願いですから、もういい加減、そんな幻想はやめませんか。
 その幻想こそが、新聞社はじめオールド・メジャーマスメディアの内部で何が行われているのかを誰も見ない、致命的な無関心を生んでしまったのだ。彼らが腐るに任せてしまったのだ。

 作家のポール・オースターが自国のアメリカについて言ったように、ぼくらはみんな、誇りを持てる国に住みたいと願っている。自分たちの住む社会が、誇りの持てる民主主義社会であってほしいと願っている。ぼくは思う。誇りの持てる民主主義社会には、誇りの持てる政治とマスメディアがあるはずだ。

 ぼくたちは現状のこの国の政治に誇りを持てるのだろうか? この国のマスメディアに誇りが持てるのだろうか? ぼくはどちらも悲観的である。だが、それを実現したいと願うのなら、すべきことは、目をそらすことではなく凝視することであり、沈黙することではなく知らせ、語ることだ。それは読者の責任として引き受けなければならない。他の誰もやってはくれない。
 朝日新聞社という、この国のマスメディアが腐敗し、インポテンツ状態になっていることを、ぼくはここに書いてきた。だが、ぼくたちは絶望する必要も、恥じる必要もない。現状が腐っているのなら、変えていけばいいのだ。それは、この国にも正義が存在し、ぼくたちの国が敬意と賞賛に催する立派な国であることを証明できる絶好のチャンスでもあるのだから。
----------------------------------引用終わり-----------------------


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