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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

735N:2010/09/13(月) 19:15:48
答え(らしきもの)はたいてい天啓のように−思考の結果ではなく−
ふと落ちてくるようにして「ことば」化されてやってくる。
考えた末に方程式の答えのように導き出されるという事はほとんど経験がない。

立ち止まるというのと関係あるのかもしれないが、
風呂場とか、布団に横になっている時,のほうが、落ちてくることは多い。
たまに歩いている最中に何かが判った気になることもあるが、
その時にはたいてい判った気分にはなっても「ことば」化はしてない。


考えるということで落ちてくる答え(言葉)というのは常に「過程」的で、
結局人は常に「仮説」しか提出できないように思う。科学というのが面白いのは、
思考や論理ではなく行動(実験)によって「仮説」を証明し、
更に「再現性」によってその証明を社会化させる方法を確立したことだと思う。
だから、科学は常に興味深いが「物」が対象の時に限られている、と俺は思う。

社会科学というものを俺はほとんど信用しない。
実験も再現もできないからだ。
科学と言いたいなら「例外」があってはならない、というのは最低条件だ。
たった一例でも理論からはずれていることがあればその理論は失敗、
という厳しいスクリーニングのもとで理論は深刻な再検討を求められ、
場合によっては全否定され廃棄される。
だから信用され、マネーも動くし影響力(科学的”世界観”として)も持つ。
心理学にしろ経済学にしろ歴史学や進化論にしろ
それらは「学問」ではあっても「科学」ではない。
きつくいえば「疑似科学」にすぎない。たとえば疫学など擬似科学の典型だ。
WHOなど信用してはならん。あれは科学ではなく政治だ。


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