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【news+】ニュース速報スレ【全般】★7

742名無し長右衛門:2009/03/07(土) 04:19:28
邪馬台国時代の前方後円墳は2タイプ 古墳誕生の謎に一石
3月5日23時33分配信 産経新聞

 邪馬台国の最有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(3世紀)にある国内最古級の前方後円墳の矢塚、勝山、東田大塚の3古墳について、県立橿原考古学研究所と同市教育委員会は5日、前方部の形によって2つのタイプに分かれていたことが判明したと発表した。3古墳は、いずれも前方部が極端に短い「纒向型」で前方後円墳の祖型との見方もあったが、古墳誕生直後から2つの系統があった可能性が浮上。前方後円墳の発展過程を考える上で貴重な資料になりそうだ。
 同遺跡では、3古墳のほかに纒向石塚古墳(全長96メートル)など計5基の最古級の前方後円墳が相次いで築造され、邪馬台国時代のトップクラスの墓とされる。
 「纒向型」は、前方部の長さが後円部のほぼ半分しかなく、天皇陵など巨大な前方後円墳とは形が異なるのが特徴。今回の調査によって、矢塚古墳(3世紀中ごろ)は全長96メートル、前方部は後円部のほぼ半分の34メートルで纒向型と確認。一方で、東田大塚古墳(3世紀後半)は全長120メートルで前方部は50メートル、勝山古墳(3世紀半ば以降)は全長115メートルで前方部が48メートルと、いずれも前方部が従来の想定より長いことが判明、纒向型ではないと分かった。
 前方後円墳は、纒向型から前方部の長い墳形に発展し、邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説が根強い箸墓古墳(全長280メートル)が築かれたという説が有力。
 寺沢薫・同研究所総務企画部長は「纒向型以外に前方部の長いタイプが当初から併存していた可能性も出てきた。日本列島の王権につながる纒向地域の前方後円墳の成立に、新たな謎が生まれた」と話した。
 現地はすでに埋め戻されているが、矢塚、東田大塚両古墳の出土遺物は6〜13日、桜井市埋蔵文化財センターで展示される。




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