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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ

59名無しさん:2015/02/24(火) 21:50:17
http://www.sankei.com/west/news/150223/wst1502230002-n1.html
2015.2.23 11:00更新
【関西の議論】
「美しい国」下から読むと「憎いし苦痛」 安倍首相〝口撃〟の元民主議員が自民入り 兵庫選出、和歌山所属の“怪”


 「美しい国、逆から読むと、憎いし苦痛」。第1次安倍晋三政権時の平成18年10月の衆議院本会議。代表質問に立った兵庫12区選出で当時、民主党に所属していた山口壮(つよし)氏(60)はこんな言葉遊びを披露、野党席から大きな拍手がわき起こった。それから約10年。山口氏は民主党を離党し、兵庫県でなく、和歌山県支部連合会の所属という形で、かつて中傷に等しい〝口撃〟を向けた安倍氏が率いる自民党に入党することになった。「吉田茂元総理を理想として、リベラルな保守を掲げる私の立ち位置は変わっていない」と強調する山口氏。政党を変え、さらに選出選挙区と異なる県連に所属する異例のケースに、地元議員や有権者からは困惑の声も上がる。不自然に映る移籍劇の裏で何があったのか。(中村雅和、秋山紀浩)

「山口王国」兵庫12区

 兵庫県西部の兵庫12区(たつの市、相生市など)は、かつて自民党旧河本派領袖の河本敏夫・元通商産業相の地盤だった、中選挙区時代の旧兵庫4区の大半を占める。旧兵庫4区は、旧福田派や旧田中派の議員も輩出する県内屈指の自民王国として知られていた。

 平成8年、政界を引退した河本氏の地盤を引き継いだ三男の三郎氏としのぎを削ったのが当時、新進党幹事長の小沢一郎氏に見いだされた外務官僚、山口氏だった。

 相生市出身で東大法学部卒業後、外務省に入った。政治とは縁遠い普通の家庭で育ち、「地盤・看板・カバン」を持たないものの、7年に外務省を退職。8年の衆院選で新進党公認候補として兵庫12区から立候補し、三郎氏と激しい選挙戦を展開したのだ。

 三郎氏に惜敗したが存在感を示し、新進党が解党した後の12年に行われた衆院選では無所属で出馬し、三郎氏を下して初当選を果たした。

 17年の衆院選で民主党公認として立候補し、三郎氏に敗れたものの比例復活。民主党が政権交代を果たした21年の衆院選では三郎氏を破って当選し、三郎氏の引退で兵庫12区はすっかり「山口王国」になった。

事態は派閥間闘争へ

 民主党政権では外務副大臣を務め、キャリアを重ねた山口氏。「王国」に激震が走ったのは25年12月。国民の失望を招いた民主党政権に猛烈な逆風が吹き、自民党が政権を奪還した24年の衆院選で山口氏が自民新人を破って4選を果たした約1年後だ。

 山口氏は突然、「民主党に限界を感じた」と離党を宣言。自民党の二階俊博氏が率いる二階派に「特別会員」として入会し、自民党入りを目指す姿勢を見せたのだ。

 背景には、かつてはグループ立ち上げ時に中心として連携していた玄葉光一郎・元外相ら民主党内の松下政経塾出身者らとの確執などがあったとされ、地元の自民党関係者からも山口氏を勧誘する動きもあったという。

 しかし、この行動は多くの関係者から反発を受けた。ある自民党兵庫県連関係者は打ち明ける。「山口氏の行動は県連に事後報告で、筋を通していない。また、選挙で戦った河本氏の支持者には山口氏への感情的なしこりも残る」

 山口氏が自民入りを模索するなか、昨年11月に衆院解散。自民党兵庫県連は兵庫選出の参院議員、鴻池祥肇(よしただ)氏(麻生派)が後ろ盾となり、新人の戸井田真太郎氏を推薦した。

 一方、山口氏も自民党本部へ入党届を提出し、兵庫12区の党公認候補の座を争った。結局、両氏に公認は出ず、「勝者が自民党公認」として、全国でも数少ない「与党空白区」を戦うことになった。

 選挙中、麻生太郎副総理とともに戸井田氏の応援演説を行った鴻池氏が「渡り鳥、人気取り、風見鶏は西播磨に不要だ」と山口氏を牽制(けんせい)すると、二階氏も山口氏の集会で「自民党の公認を得るとか得ないとかは大した問題ではない。皆さんの力で公認してください」と演説するなど、中選挙区時代を彷彿(ほうふつ)とさせる〝派閥間闘争〟が展開された。


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