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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ
5599
:
チバQ
:2018/06/27(水) 21:06:56
https://www.sankei.com/politics/news/180618/plt1806180002-n1.html
2018.6.18 05:00
【平成30年史 政界再編(3)】
細川政権263日で退陣…「小沢一郎氏VS武村正義氏」今なお残る怨念 税率7%の腰だめ発言、細川護煕氏「これはまずい」
芝生の緑が映える首相官邸中庭に、モーニングやドレス姿の閣僚たちがさんざめきながら姿を現した。手には日本酒の注がれたシャンパングラス。平成5年8月9日午後に発足した細川護煕内閣の閣僚たちの表情は晴れやかだった。
官邸内の階段ではなく、中庭での記念撮影という慣例を破る演出も、政権交代を盛り上げていた。非自民8党会派の連立をまとめ上げた新生党代表幹事の小沢一郎はこの日、国会内で「自民党はまだ信じられなくてぼうっとしているんじゃないか」と記者団に軽口をたたいた。だが、細川政権はこの時の高揚感とは異なり、順風満帆な政権運営とはいかなかった。
■ ■ ■
暮れも押し詰まった同年12月16日夜、小沢はひそかに首相公邸を訪れた。呼び出した細川が用件を切り出すより先に、小沢が口にしたのは官房長官、武村正義の更迭だった。
「自民党に通じている武村が政権内にいては政治改革はできない。そんな人物をそばに置いて、やっていけるのか。返事があるまで自分は休ませてもらう」
細川は翻意を促したが、小沢は不機嫌に席を立ち、その後1週間ちかく連絡を絶った。
この時期、小沢と武村は6年度予算案を年内編成するか、越年させるかで対立していた。国民生活への影響を懸念し、年内編成を主張する武村。小沢は細川政権が「政治改革政権」を標榜する以上、政治改革を優先すべきだと考えた。
細川と小沢は5年12月26日の再会談で、政治改革の優先を確認し、その後に内閣改造と武村更迭、与党会派の合流などの段取りも話し合われたとされる。しかし、政権内は合流どころか、それぞれが好きな方向に駆ける「八頭立ての馬車」などと揶揄されるほど結束とは程遠い状態に陥っていた。
産経新聞は6年2月14日付の朝刊1面で「首相 予算編成後に内閣改造を決意」と報じた。武村は記者団に否定してみせたが、細川は翌15日の閣僚懇談会で改造検討を表明。武村には「外相に回っていただくのはどうか」と打診した。武村の率いるさきがけは猛反発。即座に「改造すれば閣外離脱」の方針を決定した。改造問題は3月に入って細川が断念を表明するまで尾をひいた。このとき武村は「細川さんとの関係が決定的におかしくなった」と感じた。
■ ■ ■
高い内閣支持率を誇った細川政権がわずか263日で退陣することになったのは、政府と与党との連携不足によるところが大きい。「小沢VS武村」の対立劇はその象徴だった。
細川の首相特別補佐を務めた田中秀征は細川政権を「2つの点(焦点)がある楕円形だった」と評している。楕円形のボールは転がすと、どこへ行くのか予測しにくい。
首相という中心点1つにまとまらず、内部抗争がやまなかったのは21〜24年の民主党政権も同様だった。鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3人が首相を務めたが、民主党に合流していた小沢は官邸に入ることはなく、消費税増税などの課題で対立を深めて分裂、下野した。
■ ■ ■
小沢は周辺にこう漏らしているという。
「民主党政権もそうだったが、幹部連中がそれぞれの役割と責任を理解していなかった。武村君も筋違いだった。官房長官は各省庁の政策的な調整をすべきであって、国会運営に顔を出してヘラヘラする仕事じゃない。これは筋論なんだ」
一方の武村も当時の不快感を今もありありとよみがえらせた。
「小沢さんたちから『自民党と内通している』という批判は受けましたわ。僕は自民党を飛び出した後も首相経験者の竹下登さんや(自民党元幹事長の)梶山静六さんのところに出入りしてましたからね。それに小沢さんは違和感を抱いたのでしょう」
細川政権樹立のきっかけとなった宮沢喜一内閣不信任決議案の採決で、小沢らのグループは賛成票を投じて自民党に決別したのに対し、武村らは反対票を投じた。「スリッパを脱ぎ散らかして出ていくようなまねはしなかった」(鳩山)というさきがけと、竹下派内の権力闘争の末に反旗を翻し離党した小沢とは自民党に対する距離感、敵愾心の強さは違っていた。
24年に民主党が下野した後、小沢が政局を主導する場面はなく、野党勢力の再編もまた縮小再生産の一途だ。武村は「野党は糾合せざるをえない」と言いつつも、小沢に対しては痛烈な言葉を放った。
「長い間ご苦労さんでした、よく頑張られました。もうおやめになったほうがいいんじゃないですか」
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