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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ

5598チバQ:2018/06/27(水) 21:05:56
 欠席した21人は定例会合の直前に、国会内の一室に集まっていた。参院自民党幹事長で参院平成研会長の吉田博美が「ケンカは勝たなければ意味がない」と声を張り上げ、定例会合を集団ボイコットすることを決めていた。

 ケンカとは額賀福志郎の平成研会長辞任を求める「額賀おろし」を意味していた。吉田は1月11日、額賀に直接、「月内に辞任を決断してほしい」と迫った。吉田の念頭にあったのは党総務会長、竹下亘(わたる)への会長交代だが、額賀は「私には失うものはない」などと反論し、会長にとどまろうとしていた。

 平成研の前身は竹下の兄、竹下登が立ち上げた竹下派(経世会)。毎週木曜の昼に定例会合を開き、所属議員が弁当を食べて結束を固めたことから「一致団結・箱弁当」という言葉も生まれた。力の源泉はカネと組織力。なかでも参院平成研の結束は平成研副会長、船田元が「鉄の岩盤」と評するほどだったが、さらに吉田らを強気にさせたのは「連判状」の存在もあった。

■ ■ ■

 昨年12月。平成研の参院議員は、議員会館の事務所に届いた巻紙に驚いた。くるくると紙を広げると、一言、こう書かれていた。

 「今後の対応は吉田博美会長に一任します」

 言葉の横には、参院平成研の所属議員の名前が手書きで並び、それぞれ母印も押してあった。この参院議員は即座に理解した。

 「吉田が額賀の辞任を求め、応じないなら集団離脱も辞さない気だ」

 連判状は、吉田の意向をくんだ参院議員、石井準一と青木一彦が集めた代物だった。「額賀おろし」の準備は1カ月以上前から進められていたわけだ。 

 竹下登の秘書を長く務め、参院議員会長経験者の青木幹雄も背後で動いていた。青木は28年10月頃から額賀に派閥の会長職を退くよう水面下で打診したが、額賀は参院のドンといわれた青木に対しても「そのうち」とかわし続けた。

 「党総裁になろうという欲のない竹下亘に円満にバトンタッチし、派として、ちゃんとした総裁候補を育てられるかどうかだ」。そう周辺に語っていた青木が思い描いていたのは、強い「竹下派」の復活だった。

 衆参の力関係を知る衆院議員も「経世会時代を考えれば、『竹下派』に戻っていくのは自然」と考える者は多く、吉田ら参院側の意向に従い、会長交代の声を次々と上げ始めた。

 船田は2月上旬、平成研の衆院幹部が集まった会合で「参院側の要求を受け入れ、会長を竹下亘に譲るべきだ」と訴えた。経世会分裂を経験した船田が、分裂回避を主張しただけに反論する幹部はいなかった。

 そして、4月19日の派閥臨時総会で正式に「竹下派」が復活する。仲間の結束力を武器に政敵を力ずくで動かし、闘争心と行動力で派内を統率する-。その行動様式を、田中派、旧竹下派の系譜を受け継ぐ平成研が忘れているはずはなかった。

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 用意周到に会長辞任を画策され、なすすべがなかった額賀。分裂しても党内で影響力が下がるだけという事情もあった。吉田は派閥の定例会合で末席に座り、にらみをきかせている。しかし、かつての「竹下派七奉行」と呼ばれるようなリーダーも育っていない。

 もっとも、強いリーダーの不在は竹下派だけではなく、党最大派閥の清和政策研究会(細田派)にも見当たらない。それだけに引退した元首相、森喜朗の発言力はいまだ健在だ。宏池会(岸田派)も政界を引退した元党幹事長、古賀誠が影響力を保っており、それを党政調会長、岸田文雄の弱さととらえる見方もある。

 竹下派の新会長、竹下亘は「七奉行」の存在の大きさを実感している。

 兄の竹下登が首相として消費税導入を進めた際も「七奉行といわれる人たちが、党内で反乱が起きないように十何人ずつ抑えてくれた」と述懐している。

 七奉行の一人、橋本龍太郎は晩年、周囲にこう語っていたという。

 「小選挙区制に変わったことで、派閥の時代は終わったんだ。議員は一国一城の主(あるじ)なんだから…」(敬称略、肩書は当時)


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