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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ
5597
:
チバQ
:2018/06/27(水) 21:05:19
https://www.sankei.com/politics/news/180617/plt1806170012-n1.html
2018.6.17 10:50
【平成30年史 政界再編(2)】
金丸氏跡目争いで「小沢氏VS反小沢氏」で鉄の結束瓦解 参院平成研「鉄の岩盤」は健在
青天(せいてん)の霹靂(へきれき)-。誰もがそう思った。
平成4年8月27日、東京・永田町の自民党本部。記者会見した党副総裁、金丸信は、東京佐川急便の元社長からの5億円の献金受領をあっさり認めた。「私の不徳の点が多々あった。責任をとるべきだと思う」。そう語ると、副総裁と竹下派(経世会)会長の辞任を表明した。
当時の経世会は「鉄の結束」を誇る自民党最大派閥。党内だけでなく、政・官・業に圧倒的な影響力を持ち「経世会支配」と言われていた。トップに立つ金丸は「政界のドン」と呼ばれ、時の首相、宮沢喜一も金丸の“ツルの一声”で誕生したとされるほどだった。
その金丸が多額献金を認めた。「同志への陣中見舞いと認識した」。何か意図があるのか、権力者の慢心か-。さまざまな観測が広がったが、この会見こそが、今も続く政界再編の動きが始まった瞬間だった。
■ ■ ■
その4日後、神奈川県箱根町で行われた経世会の議員研修会。自民党総務局長、野中広務が挙手し、発言を求めた。派閥事務局長の船田元が許可すると、野中はおもむろにこう訴えた。
「わが派のなかで不穏な動きがある。経世会として一致団結してきた流れから見て由々しき問題だ」
会場は騒然とし、出席議員の表情はこわばった。金丸の寵愛(ちょうあい)を受けた会長代行、小沢一郎を公然と批判したと受け止めたからだ。小沢系と反小沢系の対立は決定的となった。
この時、野中は、金丸の辞任情報を小沢の側近、熊谷弘が外部に流していたとの確信していた。だが、実際は反小沢系の議員が流していた。野中は後年、人を介して熊谷に「あれは間違えていた。訂正しようか」と謝罪したという。
とはいえ、誤情報に基づく発言がなくても、経世会は分裂が避けられない運命にあった。「権力闘争、政治手法、選挙制度…。そういう考え方で全部、対立していた」(当時の経世会議員)からだ。
いったんは「金丸-小沢」態勢を維持することでまとまったものの、金丸が10月14日、議員辞職願を衆院議長に提出。経世会オーナーの元首相、竹下登はリクルート事件の影響で表舞台から身を引いていたため、小沢系と反小沢系による「跡目争い」が本格化する。
■ ■ ■
迎えた10月21日。この日は竹下派の後継会長選びの決着期限だった。
これに先立つ20日の最高幹部会。反小沢系の橋本龍太郎は「小渕恵三を推薦したい」と発言した。船田は小沢を推したが、小沢は「時期尚早だ」として拒み、「羽田孜を推薦したい」と語った。
事前の打ち合わせで「小沢推薦」のシナリオができていたため、船田は目を丸くし、小沢系の佐藤守良と顔を見合わせた。だが、小沢の発言は「絶対」。羽田VS小渕の構図が固まった。
小沢系は多数派工作を進めており、経世会の衆院議員67人のうち36人の署名を集めていた。
小沢「羽田を推薦する」
橋本「羽田は閣僚(蔵相)だ。国事優先だ」
21日の午前10時に始まった最高幹部会は双方がつばぜり合いを演じ、決着にはほど遠いまま。日付が変わった頃、幹部会座長の派閥顧問、原田憲が突如、幹部会を中座し、記者団に「会長は小渕君が適任と考える」と見解を表明した。
小沢は「座長としての職務放棄だ」と反発。幹部会を飛び出すと午前2時45分過ぎ、小沢系議員らと記者会見を開き、座長見解の白紙撤回を要求した。だが、中立を装っていた参院議員42人が「座長見解」支持で結束。22日の最高幹部会は小沢らが欠席する中で「小渕会長」が決まる。
船田はその時のことを、こう振り返る。「わが派は昔から参院が強い。『参院の岩盤』という力を竹下さんが利用しないはずはない」。文字通り、小沢も認める権力争いだった。
今国会が召集された3日後のことだった。1月25日昼、自民党額賀派(平成研究会)の党本部近くにある派閥事務所は異様な雰囲気に包まれていた。定例会合に、派閥所属の参院議員で構成する「参院平成研」メンバーの21人が一人も現れていなかったからだった。あちらこちらに目立つ空席。幹部は出席者に前方に詰めて座るよう促した。
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