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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ

2793チバQ:2017/10/01(日) 21:24:07
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20171002k0000m010075000c.html
<衆院選>自民でも内紛 岡山3区混乱

20:08

車椅子から立ち上がる平沼赳夫氏(左)を支える正二郎氏=岡山県津山市のホテルで2017年10月1日午後2時57分、竹田迅岐撮影

(毎日新聞)

 突然の衆院選は、自民にも内紛を引き起こしている。岡山3区では、2年前に復党した平沼赳夫・元経済産業相(78)の後継となる次男正二郎氏(37)と前職の阿部俊子氏(58)=比例中国ブロック=の2人が公認候補に名乗りを上げ、公示まで10日を切った今も党本部が調整できず、分裂選挙含みの混乱が続いている。

 「正二郎は日本をこよなく愛し、伝統を大事にする。どうかよろしくお願いします」

 1日、岡山県津山市のホテルであった「平沼赳夫後援会」の緊急会議。2015年に発症した脳梗塞(こうそく)の影響で車椅子に腰掛けたままの赳夫氏は約500人の後援会員にそう訴えかけると、ハンカチで涙を拭った。正二郎氏は「父の志を引き継ぎ、憲法改正に取り組みます」と決意表明した。

 赳夫氏は1980年の衆院選で初当選し、以来12期連続で当選。タカ派の論客として知られ、超党派の「拉致議連」会長を務める。養父は戦前の宰相・平沼騏一郎氏だ。

 岡山3区での自民分裂のきっかけは、05年衆院選だった。郵政民営化関連法案に反対票を投じた赳夫氏への刺客として、党本部が公認したのが日本看護協会副会長だった阿部氏。赳夫氏は無所属で立候補して当選したものの、選挙後に離党した。その後は日本維新の会に参加し、次世代の党を結党して党首を務めた。

 それから10年。前回衆院選後の15年10月に自民への復党が認められた。背景には「残された政治生命を自民で終えたい」とする赳夫氏の思いがあったとされる。赳夫氏は次の立候補にも意欲を見せていたが、急な解散で病状の回復が間に合わず、断念した。正二郎氏は公認申請を自民県連に提出する一方で、9月27日の記者会見では無所属での出馬も辞さない意向を示した。

 岡山3区の自民支部長は今も阿部氏だ。赳夫氏とは過去4回対決したが、いずれも敗れて比例代表で復活当選した。正二郎氏との公認争いとなっていることについて、陣営は「4期の実績がある者と新人をなぜ同じ土俵に載せるのか」と怒りを隠さない。

 県連幹部は「我々も板挟み状態で、一本化は難しい。郵政選挙の後遺症だ」と漏らす。ある県議は「今まで党本部がいろいろやってこうなったのだから、党本部がちゃんと決めてほしい」と注文を付けた。

 岡山3区には、共産新人の尾崎宏子氏(61)も立候補を表明している。【竹田迅岐、石川勝己】

 ■福井2区/県連会長が対抗に名乗り

 公認を巡るトラブルは岡山3区だけではない。福井では解散風が強まった9月20日、自民県連が、党員約1万2000人に「党員調査」の往復はがきを発送した。福井2区選出の元復興相、高木毅氏(61)と県連会長の山本拓氏(65)=比例北陸信越ブロック=の名前を並べ、2区の候補者としていいと思う方に○印をつけるよう求める内容だった。

 山本氏は14年の前回衆院選で選挙区が1減となった際、高木氏との調整で比例代表に回った。そのしこりが総選挙を前に噴出した形だ。結局、9月26日の県連執行部会で山本氏の行動に批判の声が相次ぎ、山本氏は2区からの出馬を撤回。「党員の意向」結果が明らかにされないまま、高木氏が公認候補になった。【岸川弘明】


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