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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ

1870チバQ:2017/09/21(木) 18:43:19
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170921-00000014-kyt-l26
要職歴任も首相就けず 谷垣氏、復帰意欲も苦渋の決断
9/21(木) 11:40配信 京都新聞
要職歴任も首相就けず 谷垣氏、復帰意欲も苦渋の決断
前回衆院選を前に、記者の取材に答える谷垣禎一氏(2014年11月22日、京都市左京区・国立京都国際会館)
 臨時国会に向けて復帰を目指していた自民党の谷垣禎一前幹事長(72)=衆院京都5区=が、10月に行われる見通しの衆院選に立候補しないことが分かった。「復帰までしばらくお許しいただきたい」。5月にあった自民京都府連の定期大会に寄せたメッセージで、谷垣氏は議員活動への意欲を示していた。8月には家族以外で初めて面会した側近の国会議員が順調な回復ぶりを明らかにしていただけに、急な衆院解散の方針を受けて苦渋の決断を迫られたとみられる。
 弁護士経験を生かして若手時代から頭角を現し、1997年に当時の科学技術庁長官で初入閣。この頃から自民党保守本流を自認する宏池会の「プリンス」と呼ばれ、党内リベラル派の代表として「将来の首相候補」と目された。2000年の「加藤の乱」では、森内閣不信任案に同調しようとした派閥トップの加藤紘一氏を涙ながらに引き留めた。03年に小泉内閣で財務相に就き、安定した政治手腕で財政再建に力を注いだ。
 06年に初挑戦した党総裁選では安倍晋三氏に敗れたが、「税の議論から逃げてはリーダーと言えない」と消費税10%の必要性を訴えた。政権から陥落した09年、「党再生の捨て石になる」と再び立候補し、京都選出の国会議員では初めて総裁に就く。10年参院選で勝利し、党勢回復の基盤を築いたものの、政権復帰の可能性が高まった12年総裁選では出馬を断念。首相の座を射止めることはなかった。それ以降、安倍政権を法相や党幹事長として支えた。
 政治家としてエリートコースを歩んだが、どんな重職にあってもおごることなく、実直に官僚や報道陣などにも対応した。その心血を注いだ政治家人生を、自転車事故で幕を下ろす無念さは計り知れない。1年以上の政治活動の「空白」を埋めるためにも、どんなかたちであれメッセージを聞きたいし、議員バッジはなくとも姿を見られる日を望む。


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