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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ

139チバQ:2015/06/10(水) 23:32:15
http://dot.asahi.com/wa/2015060900077.html
総理になれず「悲運のプリンス」町村氏 後継は次女の夫へ
 朝から薄曇りの空だった6月5日の関東地方。東京都内の葬儀場では町村信孝前衆院議長(享年70)の葬儀が営まれ、安倍晋三首相は弔辞で「私にとって兄のような存在だった。国家の屋台骨を支えてきた偉大な政治家を、また一人失った」と偲んだ。

 葬儀には森喜朗、小泉純一郎両元首相ら1800人が参列。町村氏と同じ派閥(清和政策研究会)で、家族ぐるみの付き合いをしてきた玉澤徳一郎元農林水産相(77)は「60歳を超えてからもスポーツジムに通って健康に気をつけていた。だから余計に残念」と悲しげに語った。

 町村氏の地盤である衆院北海道5区の補欠選挙は10月にも実施され、次女の夫(43)が立候補する見通しだ。

 ところで町村氏といえば、元内務大臣の床次(とこなみ)竹二郎氏や元建設相の河野一郎氏らと並び、“総理にあと一歩届かなかった男”として知られている。

 日比谷高校、東大、通商産業省を経て、1983年の衆院選で初当選。政策に明るく、次世代を担う「プリンス」と期待され、文科相や外相で実績を積んだ。

 町村氏が総理の座に近づいたのは2007年秋。当時の安倍首相が健康問題から辞意を表明し、後継争いが活発化していたときだ。政治評論家の浅川博忠氏は言う。


「町村さんは前年に自民党の最大派閥『清和政策研究会』を森元首相から引き継ぎ、党内基盤も固めていた。日本の国家像を記した著書『保守の論理』も05年に出版。10歳年下の安倍氏に先を越されたものの、次は自分と強い意欲を見せていた」

 そこに立ちはだかったのは同じ派閥に所属し、森、小泉両内閣で官房長官を務めた福田康夫氏だった。父親は赳夫元首相。日本憲政史上初の親子総理の誕生に執念を燃やし、「平時でないからこそ、自分の力が必要」と手を挙げた。急きょ、森元首相を交えた3者会談が開かれ、最終的に「今回は福田氏。町村氏は次に温存」との裁定が下された。

「森さんは初当選のころから、福田赳夫さんに可愛がってもらっていた。その恩返しをしたかったのでしょう。町村さんが高飛車な物言いで一部の議員から反感を買っていたことも、康夫氏擁立の決め手になった」(浅川氏)

 町村氏はその後に発足した福田内閣で官房長官を務め、虎視眈々(こしたんたん)と次を狙うが、肝心の福田氏も約1年で政権を放り出した。党内からは「次は麻生氏」との声が急速に高まり、町村氏は総裁選に手を挙げることすらできなかった。

 自民党が野党だった12年9月の総裁選に立候補したが、時すでに遅し。脳梗塞で倒れたことも響き、立候補した5人中4位で戦いを終えた。町村氏に近い自民党関係者は言う。

「町村さんが『あのとき、森さんの指示で福田さんに譲ったけど、もっと戦えばよかったかなあ』と漏らしたことを聞いたことがある。派閥の領袖も重要閣僚もやった。なぜ自分がなれないのか、という悔しさはずっと持っていたと思います」

 小学校の卒業文集に「将来は総理大臣になる」と記していた町村氏。冥福を祈りたい。


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