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石炭・亜炭・炭砿スレ
75
:
とはずがたり
:2016/05/23(月) 19:30:02
北炭主力鉱 全山水没
http://blogs.yahoo.co.jp/godhand_072/9625584.html
2010/11/27(土) 午後 4:32
35年前の(1975年)11月27日は、三笠市にある北炭幌内炭鉱でガス爆発事故が発生した日です。
幌内炭鉱は北炭にとって「虎の子」「ドル箱」ともいえる炭鉱で、交通機関の接続性や一大消費地である札幌まで50km前後という立地条件の良さと相まって、創業当時からずっと会社の基礎を支えてきた優良鉱でした。1889(明治22)年に官営から払い下げられて以降、長年掘られてきたこともあり、この頃になると坑道や切羽は地下1000mを超えた場所に設置され、北海道で一番深い炭鉱となっていました。
北炭も幌内に関しては特別可愛がっていた節もあり、機会があれば自走枠やドラムカッター、ホーベル、海外から輸入したロードヘッダーや坑内冷房機など持てる機材を他よりも重点的に投入する姿勢を見せていました。
ちなみにここで採掘される石炭は非粘結性の一般炭で「冴え物」と呼ばれ、主な用途は暖房や火力発電、ボイラーとなっていました。
そして幌内炭鉱は夕張にある北炭経営の諸炭鉱と比較すると事故もそれほど多くなく、1975年4月18日には、死亡事故無し延べ1500万時間達成という日本記録を樹立しています。同年6月には北炭の切り札であるビルド鉱夕張新炭鉱が1年8ヶ月近く遅れたもののなんとか開鉱し、このまま何事も無く師走を迎えると誰もが思っていた11月27日に、日本中を揺るがす大事故が幌内で発生します。
(中略)
注水完了後、当然ですが世間では「北炭倒産の危機」「幌内炭鉱は閉山するのではないか?」という話が持ち上がります。
通常、坑道が全部水没した炭鉱は、再操業は不可能と判断されて放棄されるのが一般的です。しかし北炭はあえて再建という茨の道を選択しました。世界の炭鉱史上前例のない「水没炭鉱の復旧」ですが、この辺の理由については諸説あるみたいです。「残された13人の遺体を何としても収容する」「石炭の国内2000万トン体制を維持するために責任をとった」「萩原吉太郎と政府要人が暗躍した」etc。
たしかに、萩原吉太郎が政府から幌内再建のために多額の融資を引き出した、というのは一部で有名な話ですけれど……。
事故発生後から4ヶ月近くかかった注水消火計画は3月末でようやっと完了しました……が、まだこれで終わりではありません。
これからは注水した水を全て坑外へ排出(揚水)しなくてはなりません。坑内へ注水された累計は4,080,000立方mですが、地山への浸透や空気中への蒸発などによる減少を考慮して、揚水量は全注水量の9割である3,658,000立方mと試算されました。
(中略)
この北炭幌内炭鉱の大事故を契機として、北炭の三社分割、そして夕張新鉱への出炭負担増なども関係しますが、それはまた別の機会にでも……。
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