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石炭・亜炭・炭砿スレ
191
:
荷主研究者
:2020/06/21(日) 22:25:45
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/412338?rct=n_hokkaido
2020年04/15 05:00 北海道新聞
雄別鉄道 今も胸に 15日廃止半世紀 炭鉱と釧路を往復 元鉄道マン2人 「また元気に走る姿見たい」
雄別炭山駅で白い煙を吐く蒸気機関車=1960年代(宮内明朗さん撮影)
釧路市阿寒町にあった雄別炭鉱と釧路を結び、「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭や地域住民を運んだ雄別鉄道が廃止され、15日で半世紀を迎える。元鉄道マンが当時の駅のにぎわいや車両を懐かしむ一方で、かつて使われた蒸気機関車は関東地方で観光列車として復元される予定で「また元気に走る姿を見たい」と復活を心待ちにしている。
運行最終日となった1970年4月15日。柴田辰夫さん(88)=釧路町=は最終列車の運転士を務めた。列車の前面には「さようなら雄別鉄道」と書かれた飾りが掲げられ、最後の雄姿を一目見ようと、雄別の住民らで始発から最終まで満員だったのを覚えている。「ここで事故でも起こしたら大変だ。安全に乗客を運ぼうと、いつも以上に気を引き締めた」と振り返る。
柴田さんは46年に入社。運転士のほか、列車内でスコップを使い、片手で石炭をくべる機関助士も経験した。90歳近くなった今も手はごつごつとして力強い。「当時の鉄道マンはみんなこんな手をしていた。病院で握力測定をしたら数値が高くて驚かれた」と笑う。
剣持英作さん(91)=釧路市=は「雄別鉄道は中古の車両が多く、よく故障したので苦労した。新車のディーゼル車が導入された時は恋人のように慕ったよ」と思い出す。酔った鉱員が線路内を歩いてひやひやしたり、運転士時代は針で膝を刺して眠気を追い払ったりしたこともあった。「事故を起こさなかったのが誇り」と力を込める。
JR釧路駅には旧雄別鉄道で使われたホームにつながる地下道の入り口が残り、廃線跡が「釧路阿寒自転車道線」として活用されるなど、現在でも市内各地には在りし日の鉄路の面影が残る。
関東の大手私鉄・東武鉄道(東京)は57年から70年まで雄別鉄道で使われ、江別市内で保管されていたC11形蒸気機関車を観光列車として復元させるため約400万円で購入。現在、埼玉県内の車両基地で修理を行っている。復元作業は今年の冬ごろに終了する予定。時期は未定だが、今後栃木県日光市の東武鉄道東武鬼怒川線などで運行する。剣持さんは「復活したらまた走っている姿を見たいし、ぜひ運転したいね」と笑顔を見せ、再び汽笛を聞くのを楽しみにしている。(今井裕紀)
<ことば>雄別鉄道 1919年(大正8年)に雄別地区の炭鉱開発を目的とした会社が設立。23年に釧路―雄別炭山駅間(44・1キロ)で鉄道を開通させた。鉄道は石炭や旅客の輸送を担い、旧運輸省のまとめによると、多い時で年間200万人以上の旅客、100万トン以上の石炭を運んだ。石炭から石油へのエネルギー革命が進み、70年2月27日に雄別炭鉱は閉山。鉱員や家族、関連企業で働く人の生活の足を支えるため、鉄道は同年4月15日まで運行した。
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