北日本鉱業が、尺別炭礦運炭軌道向け分岐線(車扱貨物積込線)設置予定地点に、1919年(大正8年)7月13日付で信号所設置を願い出たことにより貨物駅として開設され[1]、その後旅客を扱うようになった。なお雄別炭鉱尺別線は1961年(昭和36年)の一般開放後も、貨物は当駅で接続していたが、旅客は約400 m 離れた社尺別駅が接続駅であった。その後尺別炭鉱は1970年(昭和45年)に閉山となり、2019年(平成31年)3月16日に旅客取り扱いを廃止し[2]、信号場となった[3]。旅客営業末期の駅番号はK44。