したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

石炭・亜炭・炭砿スレ

143とはずがたり:2018/10/31(水) 16:38:20
個人的には優良炭が3000万tも眠る,復活をさせたい羽幌炭坑と鉄道。併し羽幌線が廃止になってしまったのみならず留萌本線も廃止となると輸送手段が明治時代に後戻りの感もある。。
羽幌港にどれ位の機能があるのかねえ。。羽幌炭坑に発電所も併設して留萌地区の風力開発と共に送電線も建設したい。発電所は当然石炭火発となるがバイオマスも混燃としたい所。

<羽幌炭砿>
留萌─築別─曙(─3.5km[62開]─三毛別●羽幌本坑--(索道)--●上羽幌坑)─16.6km─築別炭砿●
[羽幌炭砿:年産100万トン・70閉山・3000万t以上の可採炭残]

三毛別駅
http://61degrees.na.coocan.jp/rail/hokkai/meiu/sankebetsu.html

築別川の支流、三毛別川に沿ってさかのぼった狭い平地に、羽幌炭砿の主力鉱・羽幌本砿がありました。戦後復興の期待を背負って1949(昭和24)年に開業、閉山前の1968(昭和43)年頃には315棟の住宅に約4,500人が住んでいました。

1962(昭和37)年からは、炭鉱を運営する羽幌炭砿鉄道が、国鉄から名羽線を借り入れて石炭輸送を行いました。羽幌本砿から出炭された石炭は、三毛別〜曙の名羽線を通り、羽幌炭砿鉄道線(築別〜曙〜築別炭砿)から、さらに国鉄羽幌線を経由して留萌港へ運ばれていました。留萌港からは、同社の専用船「はぼろ丸」が運炭の任を担いました。上羽幌砿の石炭も索道で山越えして、この三毛別駅から鉄道に載せられました。名羽線区間は石炭輸送のみで、旅客は同社が運行する無料バスで上羽幌〜羽幌本砿(三毛別)〜曙を運ばれました。

羽幌炭礦鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E5%B9%8C%E7%82%AD%E7%A4%A6%E9%89%84%E9%81%93

羽幌炭礦(築別炭礦、羽幌坑、上羽幌坑)のあった苫前炭田では1895年(明治27年)頃に鉱区が設定されて採掘が始まったが、適切な運搬手段がなく、大規模な開発には至らなかった。1918年(大正7年)頃に財閥の鈴木商店(日商岩井の前身、現在の双日)が一帯の鉱区を買収した。鈴木商店が金融恐慌により1927年(昭和2年)に清算されてからも、同社傍系の太陽曹達(1939年(昭和14年)太陽産業に改称)が所有し、1931年(昭和6年)頃より開発に着手した。

当時、国鉄羽幌線が留萠より順次開業し、1932年(昭和7年)9月には羽幌まで到達しており、さらに北上を続ける予定であった。太陽曹達は羽幌鉄道を設立し、1938年(昭和13年)に国鉄駅予定地の築別一線(築別)と築別本流(築別炭鉱)を結ぶ17.2kmの本線、および途中の曙より三毛別を経由して上羽幌に至る10kmの支線を含む鉄道敷設免許を申請した。このうち、曙 - 上羽幌間は鉄道省予定線「天塩国名寄ヨリ石狩国雨龍ヲ経テ天塩国羽幌ニ至ル鉄道」と競合することから除外され、1940年(昭和15年)5月に築別 - 築別炭鉱間の免許を受けた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板