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石炭・亜炭・炭砿スレ

123荷主研究者:2018/09/16(日) 18:41:29

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/222817?rct=n_hokkaido
2018年08/29 09:27 北海道新聞
<夕張支線物語>中 炭都の盛衰とともに

黒煙を上げ、夕張駅を出発する蒸気機関車。奥は夕張炭鉱=1974年2月

 石炭貨車を50両以上連ねた蒸気機関車が黒煙を上げてひた走る。その長さは400メートル以上。石炭が「黒いダイヤ」ともてはやされた1960年代、JR石勝線夕張支線(新夕張―夕張、16・1キロ)は最も輝いていた。炭都の盛衰とともに歩んできたその支線は来年4月、127年の歴史に幕を閉じる。

■50両超す貨車
 69年に国鉄入りした市内在住の中村賢(まさる)さん(70)は42年間、夕張支線のほぼ中間にある清水沢駅と近隣駅に勤務した。清水沢駅は周辺で採掘された石炭の集積地。今でこそ支線は単線だが「当時は構内に線路が7本あった」。積み出しを待つ石炭車で埋め尽くされた。

 50両を超す貨車の石炭総量は約1600トンにもなった。あまりに重く、車輪が空転して動かない時もあった。父が炭鉱マンの中村さんは「夕張のヤマと一心同体で働いた」と誇らしげに語った。「でも、いい時代は続かなかった」

 国がエネルギー政策を転換したことで、70年代以降、まちは苦境に陥った。81年には北炭夕張新鉱ガス突出事故が起き、93人が命を落とし、新鉱は翌年、閉山に追い込まれた。中村さんは連結数が次第に減っていく石炭貨車に疲弊するまちの姿を重ねた。90年、市内最後のヤマの灯が消えた。

■輸送密度83人
 「炭鉱から観光へ」。市は新たなスローガンを掲げ、炭鉱跡地で巨大遊園地の建設などを推し進めたが、失敗に終わり、2007年に財政破綻した。過疎化は加速し、夕張支線の16年度の輸送密度(1キロ当たりの1日平均輸送人数)は83人と80年の約20分の1にまで減った。

 そんなまちで今年4月下旬、市石炭博物館が80年の開館以来、初の大規模改修を終えて再開した。来館者数は約3カ月半で年間目標の1万4千人を上回る2万人に達した。久しぶりの明るいニュースだった。

 館内では現在、私鉄の夕張鉄道(夕張―野幌、75年廃止)と夕張支線の2路線に光を当てた企画展が開催中。地元の子にとっても近代化を支えた石炭産業と鉄路の記憶が遠くなりつつある中、企画展は好評だ。

 8月中旬、企画展関連の講演会で市民団体「三菱大夕張鉄道保存会」の奥山道紀会長(59)は訴えた。「私たちは貴重な鉄道遺産を活用していかねばならない」


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