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石炭・亜炭・炭砿スレ

117とはずがたり:2018/03/22(木) 12:39:35
11年だけ存在「幻の高校」 戦後、エネルギー革命で廃校…実像に迫る 福岡県水巻町
https://news.goo.ne.jp/article/nishinippon/region/nishinippon-20180320163743048.html
03月21日 09:35西日本新聞

 水ぬるむ季節を迎え、卒業ソングがちまたから聞こえてくる3月、今は高校のない福岡県水巻町に、1952年度?62年度の11年だけ存在した「幻の町立高校」があったとの話を耳にした。かつて炭鉱で栄えた町らしく、町立水巻高には、普通科に加え採鉱科もあったという。エネルギー革命に伴う石炭産業の衰退で廃校となった高校の実像に迫った。

 「増補水巻町誌」などによると、水巻高の前身は私立高松鉱業学校。町内などで採炭事業を展開していた日本炭鉱(日炭)が、鉱員養成のため設けた学校だ。戦後の学制改革で水巻町に移管、遠賀農業高(現遠賀高)の分校となり、52年に独立。当時は県内唯一の町立高校だったという。

 定時制の普通科と採鉱科の定員は各50人。平屋の校舎2棟と、柔道部や写真部などの部活用の建物が、現在の「吉田グランド」(同町吉田西3丁目)近くにあり、校庭がほぼそのままグラウンドとして残る。61年度の町勢要覧によると、全校生徒は男子102人。

 日炭の「企業城下町」として栄えた水巻町は、同社の経営悪化を受け町財政が悪化。入学者の激減もあり、水巻高は63年春に廃校となった。最後の卒業生は24人だった。

 他に手掛かりがないか、町歴史資料館(同町古賀3丁目)を訪ねた。水巻高の資料は常設展示品の中になく、収蔵庫を探してもらうと、革張りの箱に入った校旗が見つかった。半世紀以上前の品とは思えないほどきれいな状態に驚く。

 「そういえば教科書もあったかも」。親切な職員がさらに収蔵庫をチェックしてくれた。すると、二つの段ボール箱の中から、学校印の押された数十冊の書籍を発見。採鉱科のあった高校だけに、「鉱山機械」や「坑気調整学」、「ベルト・コンベヤ」など難しそうなタイトルの本が並ぶ。

 3巻組の「最新炭鉱工学」のページをめくる。ドリルなどの採掘機械や爆薬の使い方など実践的な内容。時折鉛筆のようなもので下線が引かれていて、一生懸命に学んだ跡がうかがえる。落盤や炭じん爆発など事故についても詳しく触れており、「危険と隣り合わせの現場を学生に理解させよう」という真剣さがひしひしと伝わる。

 数少ない卒業生の1人に会うことができた。町内で自動車整備工場を営む大久保健次さん(77)=水巻町高松=は「生徒は炭鉱住宅の息子が多く、学校の内外でけんかばかりしていた。でも、境遇が一緒だからか、連帯感は強かった」。石炭を運ぶ汽車で通学していたという大久保さんが当時を振り返る。

 裕福ではない生徒が多かったといい、大久保さん自身も家計を助けるため、3年生から日本炭鉱の孫請け会社に入り、昼は坑道を掘る仕事をしながら、59年に普通科を卒業したという。

 大久保さんと一緒に、吉田グランド脇にひっそりと立つ水巻高の記念碑に足を運んだ。「蛍雪之碑」と刻まれた石碑は同窓生一同が建立したという。「高校の評判は良くなかったが、この学校のおかげで今の自分がある」。文字が読みにくくなった石碑を大久保さんはそっとなでた。

 現在は北九州市のベッドタウンとして再生し、炭鉱の面影はほとんど感じられない水巻町。石炭産業の繁栄によって生まれ、衰退とともに消えた「幻の水巻高」に思いをはせた。


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