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自民党政権綜合スレ
2008
:
チバQ
:2015/07/30(木) 21:04:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150730-00000086-jij-soci
相互不信の連鎖深刻=慰安婦問題、遠い解決-日韓【戦後70年】
時事通信 7月30日(木)14時35分配信
相互不信の連鎖深刻=慰安婦問題、遠い解決-日韓【戦後70年】
記者会見で従軍慰安婦問題の調査結果を発表する河野洋平官房長官(当時)=1993年8月4日、首相官邸
1965年の国交正常化以降、紆余(うよ)曲折を経つつも協力の実績を積み上げてきた日韓両国だが、ここ数年の両国関係は停滞が著しい。最大の懸案がいわゆる従軍慰安婦問題だ。日本に対し「誠意ある対応」を講じるよう求める韓国。日本側には、これまでの謝罪や人道的な取り組みを評価しない韓国へのいら立ちが募る。国民感情も絡んだ日韓の相互不信が、問題解決を遠ざける悪循環が続く。(敬称略)
◇徹底的な調査
日本政府は当初、慰安婦問題について、国の関与を認めていなかった。しかし、92年1月、首相・宮沢喜一の訪韓直前に朝日新聞1面に「慰安所 軍関与示す資料」の見出しが躍り、問題が一気に顕在化。当時の外務省北東アジア課長で、後に駐韓大使を務めた武藤正敏は「急激に外交問題としてクローズアップされた。訪韓の時も大きな宿題みたいになった」と振り返る。
元政府関係者によれば、韓国側が求めたのは「きちんと実態を調査して認識を共有してくれないか」ということだった。「文書はないか、証人はいないか、広く広く調査した。(日本政府関係者が)米国まで行って資料を探した」。93年に官房長官として、慰安婦問題への軍の関与を認め謝罪した「河野談話」を発表した河野洋平は、日本記者クラブでの会見でこう語り、徹底的に調査したことを強調する。
慰安婦問題で強制性に踏み込んだ河野談話には今もなお批判がある。河野は談話作成に際し「証拠のあるものだけ談話に書こう」と話し合ったといい、「嫌だから帰るわけにもいかない。移動のたびに軍の準備した車に乗せられる。強制性があったと見るのは当然だ」と断言する。
◇知恵絞った女性基金
日本政府は、村山政権時代の95年にアジア女性基金の事業を発表。事業には国民からの募金を基にした元慰安婦への「償い金」のほかに、政府拠出金を原資とした医療福祉支援も盛り込まれた。被害者には、首相からの謝罪の手紙も手渡すことにした。
日本側は個人の補償問題は65年の日韓請求権協定で解決済みとの立場だ。ただ、官房長官として事業を発表した五十嵐広三は著作「官邸の螺旋(らせん)階段」で、「対応の必要が本当にないかと言えば、誰しも胸の痛い思いがするだろう。50年前の深い反省に立って真剣に対応する必要がある」と述懐。戦後の日韓外交の枠組みを崩さぬようにしつつ、知恵を絞ったことを伺わせた。
しかし、97年に韓国で事業が実施に移されると、受け入れた元慰安婦を支援団体が批判する事態が起きた。日本政府に法的賠償を求める支援団体は、事業を受け入れることは、自らを「売春婦」と認める行為だと非難。当初は事業に一定の評価を示していた韓国政府も態度を変え、遺憾の意を表明した。「国民の基金の方がよほど償いとして日本人全体の気持ちがこもっていると思ったが、そうはならなかった」。元政府関係者はこう述懐、無念さをにじませる。
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