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自民党政権綜合スレ

1845名無しさん:2015/04/26(日) 10:57:28
>>1844

使いっぱしり扱いされた
 翁長氏に「『粛々』は上から目線」と言われた翌日、4月6日の記者会見で菅氏はこう言った。

 「『上から目線』ということだったので、そう感じるのであれば表現は変えていくべきでしょう。不快な思いを与えたなら、使うべきではない」

 沖縄県知事に説教されて、官房長官が言動を改める。このような事態は、沖縄返還から43年が経とうとしている今まで、一度もなかった。

 6日の会見では、いつも通りのポーカーフェイスに戻った菅氏。記者に答えながら、「それにしても、知事の分際で官房長官に意見するとは」と翁長氏の顔を思い出し、ハラワタを煮えくり返らせていたのか。それとも「この程度のことで収まるなら、安いもんですよ。オレってなんて寛大なんだ」と思っていたのか。

 一方で、菅氏がかいたふたつ目の恥―こちらは、言葉尻を変えたらどうにかなるという域を超えていた。会談の最後、翁長氏はこう言い放った。

 「私は今日、官房長官にお話はさせていただきましたが、安倍総理にもこのような形でお話しする機会があればたいへんありがたいと思いますけどね。その面談の手配をお願いしたいと思います」

 つまり、簡単に言えば、

 「今日はいろいろ言わせてもらったが、アンタみたいな使いっぱしりじゃ埒があかないから、次は上司を呼んで来い」

 ということだ。全国紙政治部デスクが解説する。

 「菅氏はこれを聞いた瞬間、内心で激怒したことでしょう。

 そもそもの誤算は、菅氏が年明けの佐賀県知事選で、『オスプレイを佐賀空港で引き受ける』と確約した候補者を勝手に推薦し、敗れたことでした。

 菅氏としては、この選挙で勝てば沖縄対策もできて、一石二鳥だと考えていた。しかし、フタを開けると惨敗。自民党内部からも『菅さんは人を見る目がない』『地方選の指揮もできないなんて』と、さんざんに叩かれた。

 そこにきて、統一地方選とGWの安倍総理のアメリカ訪問直前という、これ以上ないタイミングで翁長氏がカードを切ってきた。ただでさえ憔悴しているところに『総理に会わせろ』ですからね。ああ見えて翁長氏は計算高い政治家ですから、当然、官邸のスケジュールや菅氏の消耗ぶりも意識して次の手を練っている」

 翁長氏の視野に、もはや菅氏は入っていない。安倍総理、さらに官邸そのものを飛び越して、アメリカ政府に直接働きかけたうえで、改めて日本政府に条件を突き付けることさえ考えている。このデスクが続ける。

 「先日、翁長氏は北京を訪れて中国共産党の要人と会うことを決めました。大義名分は『日中の観光交流促進』でしたが、真の目的が基地問題にあることは明らかです。

 翁長氏は以前から『沖縄の中でいくら騒いだって無駄だ』と漏らしていた。もとはと言えば、琉球は東シナ海の要衝ですからね。米中両国を直接巻き込み、事を大きくして言い分を通そうという戦略なのです」

 菅氏はなぜ、強気の翁長氏と渡り合うことさえできないのか。あの会談で菅氏は、なぜ血の通った言葉を一言も発することができなかったのか。そこには、政治家としての菅氏の「器」が深くかかわっている。

 菅氏の経歴については、このような定説が流れている。秋田の豪雪地帯・雄勝町から集団就職で上京、段ボール工場に勤め、その後法政大学の夜間部を卒業。政界を志して横浜で小此木彦三郎・元通産大臣の下足番を務めたのち、横浜市議を経て国政に進出した、筋金入りの叩き上げ―。

 「しかし、彼は集団就職の世代よりも少し若い。また、大学には昼間通っていたと本人も認めていますが、あえて『夜間卒』という情報を訂正しようとしません。かつて自分が落下傘候補だったのを隠すため、『土着型の政治家』『陰の存在』というイメージを前面に出しているようにも見えます。

 その一方で、政治家として何がやりたいのか今一つわからない。以前主張していた『世襲制限』は、安倍政権に入ってから一切口にしなくなった」(全国紙官邸担当記者)


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