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自民党政権綜合スレ

1799名無しさん:2015/03/22(日) 00:01:37
>>1798
なぜ「実体的には何も変わらない」のに憲法改正を行うのか
     
 憲法改正は、そこから派生する問題が極めて多い。安倍さんはどこまで手を付けるつもりなのか。とにかく憲法改正の入り口まで持っていく手続きを進めるということでしょうか。

 たとえば、まっさきに問題になるのは、憲法66条第2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という文民条項でしょう。当然、防衛大臣も文民でなければならない。もともと自衛隊は「軍隊」ではないので、この条項そのものが無用との議論がありました。

 自民党が提起したように、憲法改正によって自衛隊を「自衛軍」として認めた場合、軍人が防衛大臣をできるのかという話になる。

 憲法を改正しても、文民条項からいえば軍人は防衛大臣になれないはずですが、そこは論点になりえます。安全保障担当に類するポストが、もし特命でできて防衛庁の制服組がなれるという話になれば、それはそれで議論になるはずです。憲法改正は、こうした派生問題が多岐にわたるのです。

 安倍さんは「戦後レジームからの脱却」の象徴として憲法改正を掲げます。

 現在の憲法はアメリカからの「押し付け憲法」だから、日本国民が自主的に憲法を選び直す。すなわちアメリカ占領時は9条に盛り込めなかった「自衛軍を持てる」という条項を入れることによって、日本国家はようやくアメリカによって主権を制限された国家ではなく、完全な主権を回復した国家になる――。

 憲法改正を1つの「象徴」として安倍さんが掲げているのなら、それはそれでわかります。もしそうならば、集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことで満足した心境とたいして変わりはありません。

 つまり憲法改正案を国民投票にかけるというところまでたどり着けば、それで満足するということです。そのときには、おそらく憲法改正によって「実体的には何も変わらない」と訴えるでしょう。

 というのも、憲法を改正したことで私たちの生活に変化がある場合、おそらく国民は改正を認めないからです。実体は何も変わらない。集団的自衛権の議論もそれで突っ切りました。では、なぜ変える必要があるのかという議論に逆戻りします。

 安倍さん流に言うと、この国の主権回復であり、ナショナリズムの涵養が目的です。

 つまり憲法改正は実現へのハードルが極めて高い割には、われわれの生活には直接の影響を及ぼさない可能性が高い。憲法改正問題は突き詰めると、そこに行きつきます。

 しかし、それで幕を閉じれば真正保守なり真正右翼は「まやかしの憲法改正だ」と怒るでしょう。集団的自衛権の論議でも、「なぜもっとちゃんとやらないのか」と怒っているわけですから。しかし、安倍流で言えば、これでいいとなります。

 集団的自衛権行使については、安倍総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で議論が進められました。しかし報告書の通りにはならず、換骨奪胎されたようです。ここで懸命に議論した人にとっては切ない成果かもしれません。

 しかし政治とはそういうものです。当事者は歴史の1行に残るかどうかが関心事であって、実質論は二の次である。集団的自衛権を閣議決定で認めたという1行と、憲法改正で9条を変えたという1行によって安倍晋三の名前は歴史に残るでしょうから。閣議決定で安倍さんが「とりあえず決めた」と満足したならばそれでいいのであって、それが安倍さんのリアリズムでしょう。

 実体的には何も変わらない憲法改正議論は、実はアベノミクスと同じで、どこか気分というか蜃気楼に似た政策です。

(PHP新書『安倍政権は本当に強いのか』より)


■御厨 貴(みくりや・たかし)
1951年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学教授、ハーバード大学客員研究員、政策研究大学院大学教授、東京大学教授などを経て、東京大学名誉教授・放送大学教授・青山学院大学特別招聘教授。専門は政治史、オーラル・ヒストリー、公共政策、建築と政治。
著書に『政策の総合と権力』(東京大学出版会、サントリー学芸賞受賞)、『馬場恒吾の面目』(中公文庫、吉野作造賞受賞)、『オーラル・ヒストリー』(中公新書)、『ニヒリズムの宰相 小泉純一郎論』(PHP新書)、『権力の館を歩く』(ちくま文庫)、『知の格闘』(ちくま新書)など。TBSテレビ「時事放談」の司会も務める。


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