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地方議会【会派】綜合スレ

229チバQ:2019/03/18(月) 14:26:53
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13928041.html?rm=150
権力巧み、自民「地方のドン」 慣行熟知「虚像の上に要領よく座っていた」 統一地方選
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2019年3月11日05時00分
 地方政界には「ドン」と呼ばれる議員がいる。とりわけ自民党には、国会議員をしのぐ影響力を持つようになった地方議員も少なくない。こうした実力者たちは、どのように権力を集めていったのか。(別宮潤一、内田快、吉田拓史、室田賢)

 東京都議会では、築地市場の跡地問題をめぐる小池百合子知事の発言が問われていログイン前の続きる。この状況を冷ややかに見る人物がいる。

 「都知事になっても(利害関係を調整する)仲人役が一人もいないもんな」

 3月初め、東京・神田の個人事務所でこう語ったのは内田茂氏(79)。2016年の都知事選に立った小池氏から「都議会のドン」と批判され、翌17年の都議選に立候補せず引退した。

 豊洲市場への移転、東京五輪の整備計画……。引退から2年近くたち、小池都政への批判を強める。「専門家が散々苦労してやっと決めたことを平気で壊すから、もたないんだよ」

 今月7日には、次の都知事選で小池氏を支援すると言及した自民党の二階俊博幹事長と会食。これに前後して、二階氏は小池氏支援の発言を封印した。

     ◇     ◇

 内田氏は1975年、36歳の自民新顔として千代田区議選で初当選した。550票の得票は、定数36のうち35番目だった。少数派の共産党などが強かった区議会で、野党も巻き込み「都心の空洞化」に悩む千代田区の街づくり計画の策定を主導。区内の丸の内や大手町に本社を置く財閥系企業の専務らにも参画してもらい、人脈を築いた。

 89年から都議に転身。内田氏の名を広めたのは、議長だった05年のことだ。

 週に3日ほどしか登庁しない石原慎太郎知事(当時)に代わり権力を握っていた浜渦(はまうず)武生副知事に、民主党による「やらせ質問」の疑惑を突きつける。同党幹部から相談されたという内田氏の証言が、浜渦氏の辞職につながった。「都庁の中で浜渦をなんとかしてくれって声がうずまいていたからさ」と振り返る。同年、都連幹事長に都議として初めて就任。それから落選後も含め11年近く務めた。

 だが、都議会の議事録には06〜13年に発言した記録がない。議会や行政の慣行に熟知した内田氏に無言の圧力を感じる国会議員や知事もいた。知事選で「『都議会のドン』の支配ではなく、都民のための都政を取り戻す」と訴えた小池氏は、内田氏らが擁立した候補らに圧勝した。

 引退した後も「内田学校」の門下生と称する都議は残る。「人が作った虚像みたいなものでさ、その上になんとなく要領よく座っていたって感じだよ」と自らを分析する。

 影響力を強めた自民党の地方議員は各地にいる。

 今春の統一地方選にあわせて引退する島根県議の浅野俊雄氏(88)は、「保守王国」で存在感を示してきた。背景には竹下登元首相や青木幹雄元自民党参院議員会長の威光がある。

 竹下氏を初めての国政挑戦から応援し、竹下氏の元秘書で「参院のドン」と呼ばれた青木氏とは1967年の県議選初当選組だ。

 県連会長を担い続けた青木氏に請われ、95年から県連幹事長に。浅野氏が「次もわしがやる」と言えば続投が決まり、07年まで務めた。自宅前には陳情者の列ができ、「よっしゃおっしゃ」と役所に掛け合った。

 島根、鳥取両県境にある中海近くに橋を架けることにも尽力。「農林水産省の役人とは酒を酌み交わし、渋る当時の松江市長には『おまえが反対するならわしが市長選に出るぞ』と言った」と振り返る。「中海大橋は、浅野大橋だわね」


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