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公安警察の「事業仕分け」を!

92名無しさん:2010/08/30(月) 09:11:49
次に述べることは、残酷趣味からではない。
特に、信心や信仰が合理主義により衰退し、不可視の存在に自分が見られているという感覚が欠如した者が増えている現代社会において、
見られなければ、分からなければ何でもできるという考えを抑止するためには、分かったら精確に記録し、伝えるという作業が必要だからである。
拷問では、身体的苦痛に心理的苦痛を加え、その相乗効果で苦痛を幾層倍にも増す方法がしばしば取られる。
身体的苦痛を与える前に、衣服を全て取り去り裸にすることは、その一つである。
それだけで自分が無防備で頼りないと実感させられてしまう。
そして、この方法の極めつけに性器=生殖器への拷問がある。
宮刑が死刑に次ぐ重刑であることは、これを傍証している。
しかし、この拷問がほとんど明らかにされないのは、被害者は極めて深刻に傷つき、加害者も自分の非人間性をさらすため、いずれも語ろうとしないないからである。
ただし、被害者が女性である場合は性暴力となり、男性支配の社会で、低劣でグロテスクなポルノとして描かれることはある。
これは拷問する側も大きく規制する。
それは良心というレベルではなく、男としての存在という基本的なレベルでの規制である。
ほとんど加害者は男性であり(イラクのアブ・グレイブ収容所では女性兵士の男性被害者への「虐待」が明らかになったが、特高で女性が直接拷問した例は知らない)、性器=生殖器への拷問を実行することが自分自身の追体験や共感にもつながるため心理的負担が大きい。
フロイトならば去勢コンプレクスと説明する心理的機制である。
つまり、女性の性器=生殖器は内部に凹んでいるが、男性では外部に出ており、その損傷がひどい場合には回復できなくなる。
女性の性器=生殖器が回復できないほどに損傷するときは、生命さえ危険になる。
これは1937年12月の南京のように戦場では頻繁に起きる。
従って、男性にとって、性器=生殖器への拷問は、快楽の断念と共に、子孫の断絶に関わる問題であり、自己の存在に関わる本源的に絶望的な事態である。
かつては、戦(*いくさ)に負けたとき心理的な屈服と復讐の断念を確実にするために、敗者を去勢した。
日本の庶民では「タマを抜かれるぞ」という表現で残存している。
敗戦後の米軍進駐の時も「女はやられるぞ」とともにささやかれた。
こう発想するのは、自分たちが行ったからと言える。
多喜二の陰茎も睾丸も赤黒い内出血で異常にはれあがっていたということは、男の存在の本源を傷つける暴力を中川や須田は振るったことを実証している。
しかも、このような拷問を受けた多喜二は29歳の青年であった。まさに正気の沙汰ではない。
さらに、このような遺体をそのまま引き渡したという行為には、威嚇や見せしめのメッセージが込められている。
遺体の傷跡を取り繕うとすれば、死因の究明のために徹底的に解剖するなどの理由を挙げて時間を引き延ばし、その間にどのようにでもカモフラージュできる。
中国では民間に死化粧師がいて損傷の激しい遺体でもかなり回復でき、検死を拒まれた多喜二の遺体は外況の検分しかできなかった。
このメッセージ性については、多喜二が張りこんでいた刑事たちに追われ、人々の中を逃げながら足袋はだしとなり、着ていたトンビ(袖なし外套)も脱ぎ捨て、溜池の電車通りで格闘の末逮捕されという拘束でも認められる。
特高の組織力ならば、秘かに拘束することもでき、さらには闇から闇に葬ることさえできる。


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