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公安警察の「事業仕分け」を!
55
:
名無しさん
:2010/03/10(水) 17:48:01
>>54
だから左翼と右翼の活動家は公安にとって大事な「顧客」であり、「お客さん」であり、公安の「生活の糧」になっている。いったん目をつけた「お客さん」に対しては、たとえ政治活動から身を引いて一般市民に戻っても、ずっと監視しつづけるシステムができている。
彼らの論理によれば、一見おとなしくしていても、いつまた過激な行動を起こすか分からないからだ。武装闘争を放棄して半世紀たつ日本共産党がいまだに公安の最大のターゲットであるのも、そのような「公安の論理」に基づいている。
鈴木は自らの体験と取材をもとに、日本の公安警察をこう結論づけている。
「公安がいるために日本の治安が守られているのではない。逆に、公安が事件を起こし、治安を撹乱させているのだ」
ほとんどの市民にとっては、公安警察は目に入らない存在だ。でも、風邪をひき少々むさくるしい格好で歩いていただけで職務質問された白川勝彦氏の例が示すように(氏を取り囲んだ警官は公安ではなかったが、一般の警官にも路上でどんどん職務質問するよう指示が出ているらしい)、警察による市民の監視は目に見えて厳しくなってきている。
公安の警察官が日常活動のなかで求められているのは、「潜在右翼」や「潜在左翼」を見つけることだという。彼らは、軽い気持ちで集会に顔を出した参加者や、事務所とか自宅の壁に張られたポスター、胸のバッジや、会話のなかのちょっとした言葉遣いといった、かすかな兆候を過大に解釈する。
自分は過激な左翼や右翼ではないし、狂信的な宗教団体の信者でもないし、ましてや犯罪者でもないと思っていても、「公安の論理」からは、すべての市民が潜在的な過激派であり狂信者であり犯罪者なのだということが、この本を読むとよく分かる。そこから「警察国家」への道は一直線につながっている。(雄)
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