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公安警察の「事業仕分け」を!

185名無しさん:2015/03/15(日) 10:54:10
>>184

 ◇ミスター特救隊

 片岡さんの海上保安官人生は、海保の激動の歴史と重なる。

 2002年2月、首席航海士として乗船した巡視船「いず」では、前年に沈没した北朝鮮の工作船の捜索にあたり、02年4月からは第10管区海上保安本部(鹿児島市)の救難課長として、引き揚げの陣頭指揮を執った。

 04年4月からは本庁救難課の専門官として新たな救難資機材の開発にも携わる。従来よりねじれにくいスタティックロープと専用の金具の開発には、厳しく注文をつけた。このロープを使った初のつり上げ救助が同年10月、富山港で座礁した海洋実習帆船「海王丸」の事故だった。

 「従来の手法だと降下ロープが障害物にからむ状況だったが、降下袋を装着した新しい手法ならば救助できそうだった。開発段階で訓練に参加していたパイロットの森さんが、やってみようと言ってくれて実際に使用して救助することができた」と片岡さんは後輩の潜水士たちに当時のことを話した。

 当時、特救隊員として海王丸へ降下した寺門嘉之さんは、片岡さんについて「後輩を支えて良き伝統を残してくれた。片岡さんこそ我々が描く『ミスター特救隊』だった」と言う。特救隊には訓練でできないことはやらないという伝統がある。まもなく40年を迎える特救隊の歴史に殉職者はいない。

 ◇最後まで激流の中で

 海上保安官は海の警察官という顔も持つ。片岡さんは、09年から2年半、石垣海上保安部(沖縄県)の巡視船「はてるま」の船長を務めた。10年9月に尖閣諸島沖で起きた中国漁船と巡視船の衝突事件では、漁船を追尾し停船させている。

 「衝突後、漁船を無事に確保できたのは良かったのですが、その先はちょっと……」

 片岡さんはいったん話を止めた。携帯電話も通じない海域を守る「防人(さきもり)」の姿を知ってもらいたいという思いと、警備の詳細は話せない現実との間で答えが見つからなかったようだ。この事件は日中の外交問題となり、後に海上保安官によるビデオ映像流出事件にも発展した。

 その後、横浜海上保安部の「しきね」の船長を経て、13年4月から「いず」の船長となった。14年末には、中国のサンゴ漁船が押し寄せた小笠原諸島へも派遣されるなど、片岡さんは最後まで激流の真ん中に身を置く形となった。

 「この船は、災害対応型として潜水士が乗船する『救難強化指定船』。最後まで現場にいることができて幸せだった」と笑う。一方で「潜水士は特救隊へのステップアップだけではない。今の特救隊はレベルアップしているが、潜水士として何をしたいのか考えながら最善の努力をしてほしい」と後輩の潜水士たちに辛口のエールを送った。


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