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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

7815チバQ:2012/12/10(月) 00:29:41
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121207/stt12120708420003-n1.htm
【衆院選・乱戦の焦点】
(上)「脱原発」一色 代替なき「スピード競争」
2012.12.7 08:40 (1/5ページ)[注目の選挙区・東京18区]
 12党が名乗りを上げる「乱戦」となった衆院選。多くの政策の是非が争点となる一方、「政治」そのものの問われる12日間でもある。「脱原発」「第三極」「決められない政治」という3つの焦点を、戦いの現場から報告する。

 6日午前7時の東京都府中市。夜明け前に降り始めた雨がやむと、京王線武蔵野台駅前に「原発ゼロ実現」ののぼり旗が並んだ。

 寒空の下、一人の男がコートのポケットに左手を突っ込んだまま、駅に向かう通勤客と握手を交わし始めた。「菅直人本人です」−。そう言いながら、あの見慣れた笑顔を振りまく。

 街頭での演説が解禁される午前8時になると、菅はマイクを握った。

 「福島の原発事故がもう一回り拡大をしていたら、東京から全ての人が避難しなければならなかった」

 「ぎりぎりの事故を首相の立場で経験した」

 「原発を必要としない社会をつくることが私に課せられた使命であります!」

 訴えるのは、ただひたすらに原発、原発、原発…。各選挙区で民主党への逆風が吹く中、東京18区で11選を目指す菅は逆に自信を取り戻したかのようだ。「もともと市民運動家からスタートしたからこういう選挙はある意味、原点。『原発ゼロ』も市民運動家的なテーマだし、原点に戻った感じだ」。原発事故への対処に翻弄され、いつも眉間にしわを寄せていた首相時代が嘘のように生き生きとしている。

 11月25日、武蔵野市で開かれた地元青年会議所主催の公開討論会では、原発政策をめぐり自民党元職の土屋正忠と激論を戦わせた。

 菅「震災当時、54基の原発は負の遺産だった」

 土屋「あんたがダメにしたんだろ」

 「原発事故で首相官邸は専門知識を欠いたまま場当たり的な対応を続けた。指導者失格だ」と土屋が批判すると、菅は「嘘だ」と反論した。討論が終わってからも、控室で「嘘ばっかり言うんじゃないよ」と土屋にくってかかった。

 討論会では、無所属前職の横粂勝仁が「戦略的脱原発」、日本未来の党新人の杉村康之が「10年後までの原発廃止」、共産党新人の柳孝義が「即時原発ゼロ」を訴えた。討論会を欠席した日本維新の会新人の五十嵐勝哉は「他党は何のシミュレーションもせず原発ゼロを言っている。無責任だ」と主張する。

 昨年3月の東京電力福島第1原発事故以降、“放射能の恐怖”が列島中を包んだ。事故後最初となる今回の衆院選は、原発の脅威をあおるかのように、各党が原発ゼロへのスピードを競い合う「脱原発」競争の様相を呈している。

 一方で事故原因を追究し、どう実現可能なエネルギー政策を打ち立てていくかという本質的な議論は深まっているとはいえない。

 菅は11月28日にも、府中市の別の駅前で遊説を行い、「再生可能エネルギーで先頭に立つことによって日本は新たな成長を遂げることができる」と訴えた。

 「脱」原発、「卒」原発というかけ声が連呼される選挙を象徴するように、演説する菅の足元には白地に赤で「原発ゼロ」と書かれた手製の踏み台があった。それを見た通学途中の小学生がやじを飛ばした。

 「これって、意味あるんですか?」


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