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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

726名無しさん:2010/10/19(火) 10:55:50
http://www.yomiuri.co.jp/column/politics/20101019-OYT8T00320.htm?from=navlc
与党が補選で問うものは
政治部 穴井雄治

 菅改造内閣発足後、初の国政選挙となる衆院北海道5区補欠選挙(10月24日投開票)が盛り上がらない。民主党新人は「世代交代」を、自民党前議員は「クリーン」を訴えるが、応援に入った議員の多くは「熱気を感じない」と口を揃える。

 民主党の鳩山前首相は10月8日、若者を集めた会合で「政権交代」や「チェンジ」といった言葉を多用し、「時計の針を戻してはいけない」と訴えた。しかし、会場にはしらけたムードが漂った。

 全国規模の国政選挙に比べ、補選はもともと有権者の関心が集まりにくい。投票率も低くなりがちだ。

 だが、選挙戦が低調な理由はそれだけではなさそうだ。

 民主党幹部はこう語る。

 「与党として戦う選挙で何を争点にして訴えていけばいいのか、まだ答えが見つからないんだ」

 補選は一般的に、与党が有利だといわれる。知名度の高い首相や閣僚らの応援を集中させられるためだ。自公連立政権時代は、投票率が下がるほど公明党の組織票がものを言う結果にもなった。

 衆参両院の補選は2000年10月から、原則として4月と10月に統一して行う仕組みに代わった。小泉首相時代の自民党は圧倒的な強さを誇った。

 流れを変えたのは、06年4月に民主党代表に就任した小沢一郎氏だ。

 00年10月以降、補選は34回行われている。小沢氏が代表に就く前、自民党系候補が19勝したに対し、民主党系候補は3勝しかできなかった。小沢氏が代表を務めた3年間は、4勝4敗のイーブンに持ち込んだ。

 小沢氏は、風頼みだった民主党の選挙手法を変えた。就任直後の06年4月に行われた衆院千葉7区補選。偽メール問題による逆風のもと、小沢氏は連合との関係を修復し、かつての自民党のような企業・団体回りを徹底して3年ぶりの補選勝利をもたらした。

 小泉首相はこの年9月に退陣し、小泉自民党と小沢民主党が対決した唯一の国政選挙となった。小沢氏は補選を「政権交代への第一歩だ」と位置づけ、民主党議員は「構造改革より政権交代だ」と勝利を喜んだ。

 小沢戦略が最も功を奏したのは、共産党が候補者擁立を見送った08年4月の衆院山口2区補選だ。導入されたばかりの後期高齢者医療制度の廃止を掲げ、野党共闘に成功した。

 このとき、小沢氏は衆院初当選の同期である不破哲三・前共産党議長に側近を通じて協力を要請した。読売新聞の出口調査では共産党支持者の9割超が民主党候補に投票した。

 民主党は選挙後、後期高齢者医療制度廃止法案を共産、社民、国民新各党と参院に共同提出して可決し、その後、同じ枠組みで参院初の福田首相問責決議案を可決させた。

 小沢戦略の特徴は、この選挙によく表れている。選挙に勝つ態勢づくりを最優先し、政策にはこだわらない。実際、この選挙で掲げたガソリン税暫定税率廃止も後期高齢者医療制度廃止もいまだに実現していない。

 小沢氏は昨年12月、中国の胡錦濤国家主席に会った際、自らを「野戦軍の最高総司令官」にたとえた。政権交代を実現させた小沢氏は、その任として一流であることは疑いない。

 問題はその後だ。

 「敵がはっきりしているとき、小沢さんはものすごく強い。でも、敵の姿があいまいだと、どう戦っていいか分からなくなる」

 小沢氏周辺はこう見る。野党の敵は明らかに与党だが、与党は野党を敵視するだけでは済まないというわけだ。

 これは小沢氏だけの問題ではない。菅首相には「何がしたいのか伝わってこない」という批判がつきまとう。衆院北海道5区補選で民主党が「争点探し」に苦悩するのは、「政権交代」より魅力的な、与党としての言葉を磨いてこなかったためではないか。

 首相は「脱小沢」を掲げて喝采を浴びたが、いつまでも「脱小沢」を売り物にするわけにはいかない。補選の結果は当面、1議席を左右するに過ぎない。だが、民主党が政権与党として何を訴えるのか、その意味は決して小さくない。

(2010年10月19日 読売新聞)


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