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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

711名無しさん:2010/10/18(月) 17:44:03
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000831010180001
主な候補者を追う(上)
2010年10月17日

●中前 茂之氏


■父への思い 覚悟の演説


 前原誠司外相、鳩山由紀夫前首相、岡崎トミ子国家公安委員長、福田衣里子衆院議員……。16日、民主党の中前茂之氏(38)の応援に、多くの国会議員たちが選挙区に入った。ラストサンデーの17日もほぼ終日、閣僚や党幹部とともに行動する。党本部の支援の手厚さがうかがえる。


 中前氏は補選告示から5日目のこの日になって、「政治の世代交代を」「東京目線の政治を変えたい」と訴えてきた演説の一部を変えた。前原氏とともに立った千歳、恵庭両市で、これまでほとんど触れてこなかった父(79)について語った。


 30歳を超えて離農。秩父別から札幌に出て、日雇いの建設労働者になった。「大学卒業まで何とか頑張るわ」と、60過ぎまで働いた父は道内で就職してほしいと願ったが、「経験を積んで、地域のために働きたい」と旧建設省に入った。


 官僚になって東京、横浜、金沢に赴任し、経済・雇用状況が最も厳しいのが故郷だと思った。縦割り行政の限界も知った。民主党北海道(道連)から補選への立候補を要請された時は、大げさではなしに「天命」と思った。


 父に立候補を相談すると「せっかくいい所に勤めたんだから辞めなくても」と言ったが、受け止めてくれた。


 では、中前氏が実現したいものとは何か。心から考えていることをはっきり口にしたと思えたのは、告示日の翌々日の14日、北広島市での個人演説会でのことだ。


 「東京からお金をもらわないとやっていけない」という声がある。今はそうでしょう。しかし、それでいいと思いますか。道民一人ひとりの「東京への依存体質」を変えましょう――。


 日々の暮らし・生活が厳しいと思われる有権者には言い出せないでいた。でも、演説会にわざわざ足を運んでくれる人なら理解してくれる。そう思って、率直な思いをぶつけ、聴き入ってくれた、という手応えを感じた。


 立候補表明から2カ月余しかなく、そもそもが政治とカネが発端の「ゆるくない選挙」(中前氏)。さらに尖閣諸島問題といった「逆風」にもさらされた。


 政治とカネを語る際、民主党関係者から「ひとごとのよう」と評されたこともある。有権者から「お前は何がしたいんだ」「何ができる」と言われ、落ち込みもした。


 それでもあと1週間、一生懸命支持を訴えるしかないと思う。「ゆるい選挙で勝っても、そのあとが大変だし、風を受けて当選しても、順風満帆とも限らない」
(天野みすず)


   ◇


●宮内 聡氏


■民意の受け皿 訴え続け


 共産党の宮内聡氏(47)は告示日以降、1日あたり二十数カ所での街頭演説を続けている。1回の演説時間は13分程度。秋晴れの16日もそうだったが、土砂降りの15日もそのスタイルを変えなかった。


 16日午後は、札幌市厚別区の幹線道路近くに選挙カーを停車。雇用政策、政治とカネ、外交・平和の三つの問題を取り上げた。


 いずれも訴え続けているテーマだが、よく通る声で「中小企業を国は支援すべきだ」「日米安保だけに頼る政治を変える」「政党助成金は税金の無駄遣い」などと丁寧に訴えた。


 衆院5区での立候補は1996年、2000年、03年に続いて4回目。5区が「地元」と言うゆえんだ。前回から7年の間に、政権交代という大きな変化が起こったが、参院選があったこの夏、「自民も民主もダメ」という声は確実に増えた。その受け皿になりたい……と強く思う。


 訴えがどれほど浸透しているかはわからない。それでも残る選挙期間中、「『民主か自民か』の選挙ではない」と訴え続けていくつもりだ。(武沢昌英)


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