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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

4204名無しさん:2012/10/21(日) 16:29:15

「剛腕」今も?各党警戒 小沢氏、宮城攻め再開の動き
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/10/20121021t11007.htm

 次期衆院選に向け、新党「国民の生活が第一」を率いる小沢一郎代表が、宮城進出の動きを強めつつある。小沢氏は宮城と浅からぬ因縁がある。かつて仙台市内に個人後援会を築き、国政選挙や知事選で陰に陽に力を見せつけた。久々に宮城で動きだした小沢戦略。民主党を中心に各党が注視している。

 小沢氏は宮城1区に元民主党仙台市議の横田匡人氏(47)を立てる方針を固め、他の選挙区でも参戦をうかがう。横田氏擁立に当たっては10月に自ら仙台市入りし、説得に当たった。

 小沢氏が宮城県政界に足掛かりを得たのは、新進党党首だった1996〜97年ごろ。96年2月、個人後援会「宮城一政会」を設立。仙台に支店を置くゼネコンや企業経営者を主要メンバーに並べ、豊富な資金力を背景に活動を強めた。

 97年9月には新進党宮城県連会長に就任した。前任の愛知和男元防衛庁長官の自民党復党に伴う対応だが、他県の議員が県連を仕切る「剛腕」ぶりを見せた。

 当時、新進党系だった藤原範典県議(民主党)は、組織を意のままに動かす小沢選挙を目の当たりにした。

 「仙台市中心部のビルの一室に、紺の背広が100着くらい並んでいた。一政会所属の企業社員とみられる人たちが、それを着て名簿を手に、次々と企業回りに出掛けていった」

 97年の宮城県知事選では再選を目指す当時の浅野史郎知事に対し、自民党とともに市川一朗元参院議員を擁立した。建設業界を中心に強烈なてこ入れを展開したが、「無党派」を掲げた浅野氏の勝手連選挙に敗れた。

 新進党解党後の98年、小沢氏は自由党を結成。2001年参院選比例代表に、愛知和男氏の秘書を務めた菅原敏秋元仙台市議会議長を擁立した。

 菅原氏は敗れたが、「党の比例票の上積みを狙ったのだろう。東北を押さえるためには宮城を外すことはできない」と小沢氏の計算を振り返る。

 民主党と合併後、2005年の宮城2区補選には、主宰する政治塾で学んだ女性候補を擁立。小沢氏は何度もてこ入れに入り、秘書部隊が強力な組織戦を展開した。05年衆院選も同じ候補で挑んだが、いずれも議席を獲得できなかった。

 一連の政治行動をめぐっては「宮城県政界への影響力を強めるのが狙い」という警戒感と、「小沢氏は宮城で勝っていない。岩手と宮城は別」との見方が交錯してきた。

 次期衆院選の宮城で、小沢氏はじわじわと圧力を広げそうだ。民主党県連幹部は「宮城関係の国会議員7人は全員、民主党に残留した。小沢氏は宮城に照準を絞ってくるはずだ」と予測する。

 今回の小沢氏の狙いについて、複数の政党関係者は「党勢拡大と比例票の上積み」で一致する。菅原氏は「横田氏擁立の背景は(01年参院選の)自分の時と重なって見える」と話した。

2012年10月21日日曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/10/20121021t11007.htm


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