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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

273チバQ:2010/03/04(木) 23:21:42
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/matsurigoto/series/Sr201001220001.html
<2>コスタリカの影、色濃く 自民支援一本化に壁 '10/1/22

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 年明けから、広島県北広島町は吹雪に見舞われた。広島市から江津市に至る国道261号沿い。麻生太郎前首相のポスターを張った自民党広報板が並ぶ。猛暑の衆院選から間もなく5カ月。自民党の「時」は、政権交代前で止まったままだ。

 「明らかに組織力が弱まっていた」。酒店を営む沖繁健一さん(62)が振り返る。ここ広島3区で、民主党新人に敗れた増原義剛氏(64)の後援会千代田支部の役員。役員会に出席を頼んでも決起集会に誘っても、支援者ですら集まりが悪い。逆風だけではなかった。

 衆院選に小選挙区制が導入された14年前から、広島3区は2人が「地盤」としてきた。増原氏と、自民党衆院議員の河井克行氏(46)=比例中国。両氏は14年前、10年前と2度の衆院選で対決。初回は河井氏が新進党の増原氏を破り、次回は無所属で立った増原氏が雪辱し、自民党に入る。

 増原氏の入党で自民党は、広島3区に現職と元職を抱えた。そこで導入したのが、「コスタリカ方式」だった。1人を小選挙区、もう1人を比例代表に擁立し、選挙の度に交代する。2003年は増原氏、05年は河井氏、昨年夏は増原氏。こんな入れ替えが、広島3区で続いてきた。

 自民党員でもある沖繁さんは言う。「あくまで党の論理。選挙区民本位ではない」。昨年夏、増原氏にとっては6年ぶりの小選挙区での戦いだった。選挙区戦が1回飛ぶと気も緩み、士気も下がる。増原氏の足も、町から遠のいていた。

 沖繁さんは、酒販業組合幹部として自民党衆院議員を支える父の姿を見て育った。選挙で勝つ原動力となるのは、「先生と支援者の密着性」と信じる。候補と支援者との距離を、あの選挙方式が遠ざけたと痛感する。

 河井氏の「育てる会」芸北地区会長の農業中束悠介さん(71)には、真反対に映る。「コスタリカで心底ほっとした」。合併前の芸北町議会議長だった。ほとんどが顔見知りの3千人の町。2人の対決に、町民が溝を深める現実を目の当たりにしてきた。

 元職と現職。後援組織は今も、合併前の旧4町単位にそれぞれある。コスタリカ方式は、かつて両者が直接対決したしこりを、今に残す形にも作用した。

 増原氏は今夏の参院選で国政への返り咲き、河井氏は次の衆院選で広島3区での戦いを見据える。「2人の後援会が一本化せんと、民主党には勝てんよ」。自民党を支持する人々から噴出する。

 沖繁さん、中束さんとも承知の上だ。「理屈からいえばそう。ただ会議も別々、悪口も言い合ってきた。一緒になるのは…」と中束さんは本心を語る。沖繁さんも「引き裂かれて久しい仲。現実的には難しい」とみる。

 民主党の政治資金問題という「敵失」を前に、攻勢に打って出る構えの自民党。だが、政権奪還の道筋はまだ見えない。そして広島3区では広島県内の7小選挙区で唯一、支部長が決まらず、支援者たちを今も二分する。

 中米の国名に由来する方式は、広島3区の町の自民党支援者に、複雑な影を落としていた。


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