したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

130名無しさん:2009/11/15(日) 17:53:19
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091115/stt0911151705002-n1.htm
【自民党崩壊の現場】「ブランド」は悪なのか 再挑戦目指す船田元氏 (1/3ページ)
2009.11.15 17:01

女性後援会の講演会場入口で、来場者と握手する船田元・元経済企画庁長官 「組織を固めるだけでなく、ゲリラ的に一般有権者へ支持を訴える民主党的な『空中戦』も必要だ」

 「地元の盆踊り大会では、ただ見ているだけでなく、輪に入って一緒に踊っていきたい。カラオケ大会では、1曲は歌う…」

 8月の衆院選で落選した自民党の船田元(はじめ)氏(55)=栃木1区=はいま、国政復帰に向けて新たな「挑戦」を試みるべきか模索を続けている。

 ●「世襲に甘えず」も

 船田氏はこれまでの選挙で、作新学院の関係者や、祖父の代から作られてきた後援会に支えられてきた。祖父の中(なか)氏は衆院議長、父の譲(ゆずる)氏は栃木県知事。さらに、神職の子だった曾祖父の兵吾(ひょうご)氏は「作新学院」(学校法人船田教育会)の創立者。ホームページによると、作新学院は幼稚園から大学を有し、高校だけでも4千人近くの在校生を抱える全国有数のマンモス校で、船田氏は法人の理事長を務めている。

 典型的な「世襲議員」とみられる船田氏だが、独自に女性後援会「はじめ倶楽部」も結成し、自らは「世襲に甘えない」行動に努めたという。平成4年には、39歳の若さで経済企画庁長官にも就き、「将来の首相候補」と目される実力もつけてきた。

 12年の衆院選では、元参院議員の恵氏(47)との再婚が「政界失楽園」と話題を呼び、初の苦杯のなめた。ただ、その後は「おわび行脚」を精力的に重ねたことで一度はこじれた支持者との関係を修復させ、15年と17年の衆院選で連続当選を果たした。

 ●2度目の苦杯

 麻生政権では党総務会長代理を務め、今回の衆院選で当選すれば「三役」の声もかかるともいわれていた。

 11度目の衆院選に臨んだ船田氏は、全国的な自民党批判を意識し、中核市の宇都宮市を地盤とする栃木1区で「私が自民党を変える」と訴え続けてきた。

 船田氏の選対幹部を務めた矢野哲朗参院議員も「かなり今回は地元の選挙活動を頑張ったほうだ」と擁護した。総裁である麻生太郎首相(当時)を選挙戦最終日の8月29日に遊説させたいとする党本部の要請にも「応援は一切不要」と拒否した。

 一方で、初落選したときの過去をほじくるような怪文書まで出回った。「『船田ブランド』という古いしがらみを相手候補に利用された面がある」と、ある選対幹部は振り返る。

 結果は、初出馬の民主党の石森久嗣氏(47)の前に約3万4千票差をつけられ、比例代表の復活もならなかった。

 ●殿から庶民へ

 「70歳代以上の後援会幹部が増え、『船田の名代』とプライドを持ちすぎ、新しい支持者を遠ざける雰囲気があった」

 船田氏は敗因に「ブランドの罪」を挙げ、民主党に負けない「どぶ板」も必要だと考えている。また、外部の意見も参考にしていきたいともいう。「自民党を変える」前に、世襲のしがらみから「自らを変える」という意思表示だ。

 はじめ倶楽部も白髪混じりの幹部が増えた。船田氏は10月15日に宇都宮市内で開いた同倶楽部の会合で、若い支持者の新規開拓を進めるため、新人事を当面「凍結する」と宣言した。

 だが、船田氏を「殿様」と呼ぶある地元県議は「今回は自民党支持層の3割が民主党に流れた。ゼロから仕切り直すのではなく、まずは旧来の支持層を固め直すところから始めるべきだ」と強調する。

 「船田ブランド」は捨るべきか、利用すべきか。船田氏個人の試みは自民党全体の再生の試金石ともいえそうだ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板