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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

559名無しさん:2009/06/12(金) 20:54:40
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai/20081014/20081014_0005.shtml
(#4) ダム建設  国に逆らう覚悟と苦悩
2008年10月14日 20:28
美しい虹がかかった五木村。頭地地区では、建設が止まった橋脚の鉄筋がむき出しのまま放置されている 熊本県人吉市を流れる球磨川沿いのホテル。午前6時、アユを狙う泊まりの釣り客がロビーに姿を見せる。このホテルで生まれた矢上雅義(48)は、昔から変わらないその風景を当たり前のように見て育った。

 球磨川の堤防に沿うように古い旅館や飲食店が並ぶ。矢上は2月まで、支流の川辺川が流れる同県相良村の村長を務めた。川辺川ダムの建設が予定されている村だ。

 一昨年11月、矢上は「ダム反対」を表明した。ダムなしでも洪水の被害は最小限に防げるとして「清流を財産として残すべきだ」と訴えた。川と暮らし、川とともに育った矢上にとって、いわば当たり前の選択だったが、流域の首長として「ノー」の声を上げたのは矢上が初めてだった。

 従うのが当然とされてきた国の方針。逆らうには、勇気と覚悟と世論の後押しが必要だった。

 矢上は今、助役選任をめぐる贈賄罪で係争中の身。当時は、保釈され1年がたったころだった。「また拘置所に戻りたいのか」。村長室には脅迫めいた電話が相次いだ。身の危険を感じ、警備員を連れて村民への説明に回った。国に逆らうことの重さを思い知った。

 3月、村長を辞めて熊本県知事選に「ダム反対」を訴えて立候補した。「中立」の立場で戦った現知事の蒲島郁夫に敗れた後、実家のホテルで働いている。

   ◇    ◇

 矢上が投じた「ノー」の一石。さざ波が次の波を呼ぶように、矢上の後の相良村長徳田正臣、人吉市長田中信孝が相次いで反対を表明した。蒲島は9月11日、計画の白紙撤回を国に求めた。波はうねりに変わった。

 人吉市の老舗旅館、人吉旅館は十数年前、着工に向けた関連工事に携わる関係者の定宿となり、宴会場は連日にぎわった。今、工事関係者の姿はほとんどなく、宴会場に何ダースもの瓶ビールを運ぶこともなくなった。

 それでも、女将(おかみ)の堀尾里美(50)は「心が軽くなった」と言う。ダム工事の一時的な客がいなくなっても、清流での釣りを楽しみに客が泊まりに来てくれる。堀尾は深々と頭を下げ、竿(さお)を手に玄関をくぐる客を迎える。

   ◇    ◇

 人吉市長の反対表明を受け、市議会は9月9日、ダムの早期着工を求める意見書を可決した。市議の1人は水没予定地の五木村に暮らす親せきを思い、賛成に回った。「先祖代々の地を追われた人たちを思うと反対できなかった」。翌日、事務所には抗議の電話が殺到した。予想はしていたが、ダム反対の声はそれを上回った。

 国のダム計画から42年。「生命・財産を守るためのダム建設」。国に全国一律の価値基準を変更する用意はない。ダムによらない治水対策に舵(かじ)を切った蒲島にも、清流を守り、同時に流域を水害から守る妙案があるわけではない。

 五木村のダム湖に架かるはずだった「頭地大橋」。国策と民意に翻弄(ほんろう)されてきた歳月を物語るように、工事が中断された橋脚は今も鉄筋のまま放置されている。 (敬称略)

<わたしたちの九州 第11部>

=2008/10/02付 西日本新聞朝刊=


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