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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

558千葉9区:2009/06/12(金) 20:54:17
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai/20081014/20081014_0004.shtml
(#3) 医療格差  設備も不足 日々綱渡り
2008年10月14日 20:28
看護師と訪問診療に出かける折出光敏医師(右)。的山大島には車が入れない路地や石段がいくつもある 墨のような雲が低く垂れ込め始めていた。

 台風13号が九州に接近した9月18日。長崎県平戸市の生月島(いきつきじま)にある生月病院で、院長の山下雅巳(53)は4年前の出来事を思い起こしていた。

 あの日、島は大型台風の直撃を受けた。風雨が強まる中、産気づいた妊婦が運び込まれた。島で唯一の病院だが、産科はない。救急車を呼んだものの、出動を断られた。本土と島をつなぐ橋が通行止めだったからだ。
 「責任は私がとりますから」。山下は、役場に頼み込んで当時町長の公用車を借り、重しの砂袋を積み込んだ。妊婦の付き添いは一番体の重い男性医師。元相撲取りの職員がハンドルを握り、揺れる橋を強行突破した。

 車が本土の病院に着いたのは一時間半後。直後に男児が生まれた。

 今、生月病院の常勤医師は定員の二欠の5人で、うち1人は病欠中だ。「毎日が綱渡りですよ」と山下は空を見上げた。

   ◇    ◇

 平戸の中心部からフェリーで約40分の的山(あづち)大島。魚の行商を50年続けてきた田中初子(86)は、足をさすりながら島内の診療所に通って
いる。

 1500人足らずのこの島に、ただ1人の医師折出(おりで)光敏(57)が着任したのは2年前。前任の北海道でへき地医療に従事した折出は9年前、町長選に出たことがある。全国一律の政策を批判し、「地域に合った取り組みを」と訴えたが敗れた。その後、信念を実現する場として長崎の離島を選んだ。

 島に来て驚いた。診療所のエックス線撮影装置は20年前の旧式。起動に40分かかるため船で本土に渡った方が早いほどだ。島に初めて救急車が配備された昨年10月、「積載する機材を使わせてほしい」と申し入れた。生体監視装置に分娩(ぶんべん)セット、携帯心電計。診療所より重装備だった。

 診療所が命綱の田中も、最新機器を備えた病院がいくつもある長崎市のお年寄りも、後期高齢者医療制度の保険料は同じだ。

 田中の娘婿(61)は言う。「不公平やね」

   ◇    ◇

 「どぎゃん有名な大学ん博士より、顔なじみの先生が一番」。田中の心配は診療所長がよく替わることだ。2カ月で島を去った医師もおり、この10年で6人になる。「よか島ばってん、お医者さんのおらんごつなると暮らされんばいなぁ」と田中。役場は医師確保に悩まされ続けてきた。

 医者は余っている−。1980年代以降、国はそう主張し続けてきた。前回衆院選でも、各党のマニフェスト(政権公約)に「医師不足」の文字は見当たらなかった。

 政府がようやく地方の医師不足を認めたのは今年6月。医学部の定員を毎年400人ずつ増やす方針を打ち出した。

 ただ、折出は後手に回る国の政策への不信感をぬぐえない。大学病院などで腕を磨いた折出が、初めてへき地医療の現場に立てたのは30代半ばだった。

 「即戦力の医者が増えるまで15年はかかる。それを待つ間にへき地医療はすっ飛ぶ」

 的山大島の人口は、この15年で3分の2に減った。 (敬称略)

<わたしたちの九州 第11部>

=2008/10/01付 西日本新聞朝刊=


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