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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5394とはずがたり:2009/09/04(金) 13:36:29
<三重県>

>比例区で復活当選した田村憲久氏(44)は1日、津市香良洲町で開かれた盆踊りにさっそく顔を出すなど地元回りを再開した。
>油断もあった。05年でさえ公示直前に立候補した森本氏の比例復活を許しながら、伯父で元衆院議長の田村元氏から続く後援会や支えてきた建設業界に頼り、弱った支持基盤の手当をしてこなかった。陣営幹部は唇をかむ。「国の仕事で忙しいのもわかるが、地元を大切にしろと言ってきたのに」。これまでの支持層が民主党に流れたのも敗因の一つとみる。

再建へ険しい道 衆院選後の課題 自民
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000000909020001
2009年09月02日

◇◆支持基盤崩れ、「地殻変動で割れた穴に落ちた」◆◇

 有権者が求める変化の大波に、ほころびだらけの自民党はあっさりのみ込まれ、政権の座を明け渡した。

 県内の5小選挙区でも、自民が議席を得たのは5区だけで、96年から始まった小選挙区制の下では最低だった。

 「『政権交代』という地殻変動で割れた穴に、自民党も候補者も落っこちた。ただ自分は、後援会というつかむロープがあったから持ちこたえた。これからはこのロープを太くして、至る所に作っておかなければいけない」

 4区で民主党の森本哲生氏(59)に5回連続当選を阻まれたものの、比例区で復活当選した田村憲久氏(44)は1日、津市香良洲町で開かれた盆踊りにさっそく顔を出すなど地元回りを再開した。

 この4年間、総務副大臣や衆院厚生労働委員長を経験し、永田町でもそれなりに存在感を示してきた。

 だが、自民党が300議席近い議席を得た05年衆院選の大勝に、油断もあった。05年でさえ公示直前に立候補した森本氏の比例復活を許しながら、伯父で元衆院議長の田村元氏から続く後援会や支えてきた建設業界に頼り、弱った支持基盤の手当をしてこなかった。陣営幹部は唇をかむ。「国の仕事で忙しいのもわかるが、地元を大切にしろと言ってきたのに」。これまでの支持層が民主党に流れたのも敗因の一つとみる。

 自民党そのものも、この4年間、人と政策の両面で「ポスト小泉」を見つけられなかった。安倍、福田両首相は政権を投げ出し、麻生首相は失言やぶれを指摘され、求心力を欠いた。衆院選直前に公然と「麻生降ろし」が起き、党内の混乱を有権者にさらけ出した。政策でも、構造改革後の未来像を示せなかった。この数年、大企業が軒並み史上最高益を上げる中、労働者への所得の分配は進んでいない。96年を100とした指数で、06年の企業所得は142・3まで上昇したが、県民雇用者報酬は99・1。昨秋の世界不況後は経済が激しく落ち込み、「生活がよくならないとか、たまりにたまった有権者の不満」(田村氏)が自民党に向けられた。

 県内唯一の議席を守った5区の三ツ矢憲生氏(58)も、口をつくのは反省ばかりだ。「終身雇用が崩れ、非正規社員が増えた。崩れたセーフティーネットをつなぐのも政治の大切な役割だった」

 果たして自民党の再建はなるのか。

 1区で敗れたものの比例区で復活当選した川崎二郎氏(61)は「自分たちの基盤を大事にしながら腰を据えて政策をやる」と決意を新たにした。

 しかし、野党では政策実現が難しくなるうえ、10年の参院選や次の衆院選で党勢を拡大しようにも、公共事業費や社会保障費を削減した小泉改革で離れた業界団体や農村部の支持層をつなぎ留めるのは簡単ではない。それを補う形だった小選挙区での公明党票も、「連立野党はない」という中で、これまでのような選挙協力は望めそうもない。

 自民党は28日に総裁選を実施することを決めたが、絶対的な総裁候補不在の状況は変わっていない。

 2度目の野党を経験することになる川崎氏は、細川連立政権に向き合った時代と比べて「(今回は自民党の)勢力がない」と淡々と語る。「大軍をもって相手を制圧する(従来の)自民党のやり方ではなく、向こうの出方を見て、織田信長が戦うように奇兵をもって勝機をうかがうことになるのだろう」


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