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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5389とはずがたり:2009/09/04(金) 13:00:28
>保岡陣営にはすきがあった。1区内の市議らが個人演説会を陣頭指揮するなど、本気でてこ入れし始めたのは選挙戦中盤。新聞が調査などに基づき「民主300議席超」と民主圧勝の情勢を報じてからだった。
>「保岡さんは保徳戦争など厳しい選挙で何度も勝ってきた。なんだかんだ言って最後は大丈夫と思っていた」と話す自民関係者は多い。

>公明も自民逆風のあおりを受けて、比例の得票を前回より約7千票減らした。

政権交代@鹿児島・中
http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000000909010001
2009年09月02日

「候補者のことを、有権者にわかっていただけなかったのが落選の原因と思う」
 歴代県連会長の写真が壁にかかる自民県連の役員室で、小幡兼興幹事長は選挙戦を淡々と振り返った。
 逆風のなか自民は3議席を守ったが、1区の保岡興治氏(11期)、3区の宮路和明氏(6期)という県連会長を務めたベテラン2人を失った。
 「特に保岡さんについては、いなくなった穴の大きさを有権者もじわじわ感じてくるはず」と自民県議の一人は惜しむ。政策通で知られ、自ら「議員立法件数33は現役最多」とアピール。今回の「政権交代」を生んだ小選挙区制やマニフェスト型選挙の導入に絡む法案も並ぶ。
 保岡氏自身、公示前から「すさまじい逆風」と話していたが、陣営にはすきがあった。1区内の市議らが個人演説会を陣頭指揮するなど、本気でてこ入れし始めたのは選挙戦中盤。新聞が調査などに基づき「民主300議席超」と民主圧勝の情勢を報じてからだった。
 「保岡さんは保徳戦争など厳しい選挙で何度も勝ってきた。なんだかんだ言って最後は大丈夫と思っていた」と話す自民関係者は多い。
 「保守王国」と呼ばれる土地柄で、実際、小選挙区で民主に負けた経験はない。「逆風といっても、私自身、5人全員が当選できると思っていた。甘かった」。小幡幹事長は、そう言って風の強さの読み違えを認めた。
 05年の「郵政選挙」での大勝から4年。相次ぐ首相の辞任劇や閣僚の不祥事、公共事業費と社会保障費の削減と、「逆風」の発生源は一つ二つではなかった。
 自民県連とパートナー宣言をした公明県本部の成尾信春代表は「1票をひっくり返すのに、こんなに時間がかかった選挙はなかった」と振り返る。知人に電話をして自民候補への支持を頼んでも反論されることが多かったという。公明も自民逆風のあおりを受けて、比例の得票を前回より約7千票減らした。
 自民は県内の比例得票でも民主を下回った。どう態勢を立て直すつもりなのか。
 ひとつは組織の若返り。小幡幹事長は「自民支持者は年をとり、主導力のある人が少なくなった」と話す。もう一つは有権者との対話。候補者や施策を、県民にわかるように語ってこなかった反省を踏まえてのことだ。
 来夏には参院選が待ち受ける。自民県連は現職の野村哲郎氏を擁立する予定だが、基盤の農協だけの運動では難しいと判断。「農政連中心ではなく、だれでも入れる後援会を作ってほしい」と注文をつけたという。
 ここ数年、「接戦の命綱」として公明の組織票に頼り続けた自民。だが、野党になる両党が協力関係を続けるのかは不透明だ。公明の成尾代表は「うちは党代表、幹事長とも議席を失った。党を立て直すのが最初。今後どうするかは、その上で検討される」と慎重姿勢に転じた。
 保岡氏は今回の敗因をこう総括している。「自民党は、国民が政治に求めるスピードや変化に応えられたのにもかかわらず、できなかった。反省しなければいけない」
 下野した自民がかつての栄光を取り戻せるのか。党改革は容易ではない。


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