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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
5380
:
とはずがたり
:2009/09/03(木) 16:44:43
>>5379-5380
政権交代
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/feature/aomori1251734472550_02/news/20090901-OYT8T00095.htm
笑顔なき勝者たち
「旧来の自民党の支持者の1割から2割近くも心が離れてしまっていたのが、一番辛かった」
衆院選から一夜明けた31日。八戸市内で記者会見に臨んだ青森3区・自民党の大島理森(62)は、9選の喜びもつかの間、表情に悲壮感さえ漂わせた。次点との差はわずか367票。全国で最も得票差のない薄氷の勝利だった。
選挙の序盤から劣勢が伝えられた陣営は総動員をかけ、ぎりぎりまで支持固めに奔走した。しかし、報道各社の開票日の出口調査は、依然劣勢。午後9時半過ぎ、大島は独自の情報網による判断で敗戦の弁を語った。「自民党の建て直しをしっかりと図っていく十字架を背負っていかなければならない」。落選は杞憂(きゆう)に終わったものの、その思いは当選した後も変わらなかった。
「44歳で5期目の当選をさせてくださったことは、皆さんが贈ってくれた宝物です」。青森4区・自民党の木村太郎(44)は31日朝、弘前市内の街頭に立ち、声を張り上げた。
選挙戦では「私はブレない!」をキャッチフレーズに、徹底したどぶ板選挙を展開した。公示後、対立する民主党陣営の応援で小沢一郎代表代行が選挙区入りしたのに危機感を抱き、選挙終盤には、父の木村守男前知事も自らてこ入れに動くなど、陣営はこれまでにない緊張感に包まれた。
結局、木村は4区内の全11市町村で民主党の津島恭一(55)を上回ったが、前回、7万票以上開いていた票差は約1万4000票にまで縮まった。「終盤の追い上げで何とかしのいだが、弘前では約1700票差。首の皮一枚でつながった感じだ」。陣営幹部に笑顔はなかった。
4選を果たした青森2区・自民党の江渡聡徳(53)は31日、十和田市で記者会見し、「この風がどれだけの逆風なのか、非常につかみにくい選挙だった」と振り返った。県内で自民党が踏みとどまった理由については「後援会組織をきちんと作ってきたことが勝因」と分析。その上で、「今度は我々が野党。民主党の政権公約を検証をしていく番だ」と気を引き締め直した。
◇
一方、連立政権を組んできた公明党。県内の比例選での得票は7万7853票にとどまった。
公明党県本部は自民党県連の要請で、世襲を理由に自民党本部が公認を見送った青森1区・無所属新人の津島淳(42)に党本部推薦を出すなど、積極的に選挙協力を進めてきた。しかし、公明の比例票は目標の11万票に及ばず、東北ブロックでの2議席目の獲得はならなかった。自民党県連の関係者は打ち明ける。「自民党をお願いするだけでも大変なのに、『比例は公明党』と言い出すのはなかなか難しかった」
公明党県本部の伊吹信一代表は選挙結果に憤った。「自民党県連は約束を果たしていない。うちの支持者はかなり反発している。このままでは次の選挙での協力は難しい」
(2009年9月1日 読売新聞)
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