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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

4602チバQ:2009/08/30(日) 10:28:57
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/kakugo-funade/20090811/191405
覚悟の船出 渡辺新党背景と課題

<上>水面下 同志集めぎりぎりまで 離党続出の目算外れ
(8月11日 05:00)

 新党結成会見が翌日に迫った7日夕。渡辺喜美氏は、神奈川県鎌倉市に向かっていた。2週間前に「プロポーズ」した浅尾慶一郎参院議員に返事をもらうためだった。

 渡辺氏を事務所に迎えた浅尾氏は、その場で行動を共にする誓約書にサインした。「浅尾さんを待って立ち上げた」。会見後、渡辺氏はそう言ったが、最終合意はぎりぎりのタイミングだった。

 ■受け皿なれず

 政局の動きをにらみながら、早ければ6月中の新党結成も視野に入れていた渡辺氏。しかし衆院解散が7月21日まで先送りされたこともあり、思うようには事は運ばなかった。

 6月中旬、渡辺氏は自民前職の河野太郎氏の政治資金パーティーに出席した。「われわれの新党に参加しませんか」。公然と新党合流を促す渡辺氏に対して、河野氏から色よい回答はなし。河野氏周辺によると、渡辺氏からその後も誘いがあったというが、ついに振り向くことはなかった。

 自民党内では解散前の1週間、都議選の惨敗を受け「麻生降ろし」の風が吹き荒れた。渡辺氏が新党結成を「解散前後」と言い続けたのは解散に合わせて離党者が出るとの読みがあったからで、「麻生降ろし」は追い風にみえた。

 だが、離党者は限定的だった。2005年の「郵政選挙」で初当選した「小泉チルドレン」数人だけ。自民党に不満を持つ議員の受け皿となるとの思惑は外れた。

 ■首長選応援

 「今の自民党はおかしい、民主党が変だと思ってもそこを離れられない。覚悟のある人が非常に少なかった」。渡辺氏は結党会見で不満をにじませ、「われわれは覚悟の集団だ」と強調した。

 渡辺氏は国民運動を展開して理念や政策を訴え、「同志」を増やしていった。名古屋やさいたま市長選をはじめ、全国の知事選や市長選などの応援にも奔走した。

 静岡知事選や都議選などが続いた7月上旬、渡辺氏は手応えを感じていた。「これだけ全国を回ると、新党を立ち上げれば、候補者がいない選挙区でも比例で入れてくれる人が結構いると思う」

 結果が出る日は、3週間後に迫っている。

 [写真説明]立候補予定者がそろって行われた結党会見。代表の渡辺氏は「政権交代プラス政界再編」と強調した=8日午後、都内のホテル


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