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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

3559千葉9区:2009/08/14(金) 18:52:05
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000430908130001
【09政権選択あおもり】


選挙区を歩く 3区
2009年08月13日

 自民前職の大島理森は昨年12月1日、歴代の党国対委員長で最長となる在任1128日を記録し、今も更新中だ。森、小泉、安倍、福田、麻生の5内閣で国会を仕切る要職を務め、全国的な知名度も上がった。


 平成に入って現職の国対委員長が総選挙で落選した例はない。だから、今回の総選挙の大島も「安泰」といっておかしくない。それなのに気が抜けないのは、失言や発言の「ぶれ」などで支持率が低迷する麻生首相を支えてきた「側近」という大島のイメージがある。それに対する有権者の反発が、どれほどか読めないからだ。


 昨年秋に解散風が一時吹いたころ、大島の関係者は「大島は、官房長官のポストを断った」と打ち明けた。官房長官になれば、これまで以上に地元に戻ることは難しくなる。


 大島陣営の滝沢求・選対本部長は「麻生の飾らない人柄は、大島の支持者の中には親しみやすいと感じている人もいる」と、影響はあまりないという見方を示しつつ、「自民党よ、もっとしっかりしてくれという思いはある」と、いらだちも募る。


 そこで、陣営は「逆風の中でもぶれずに麻生を支えてきた大島という個人を見てもらう」という。つまり、「ぶれる」麻生による支持者の自民離れを、「ぶれない」大島で防ぐねらいだ。


 今回、大島の実像に、多くの人に触れてもらうため、町内単位のミニ集会や企業回りをこれまで以上に増やす。さらに、八戸市を中心に一定の割合であるとみられる無党派層を狙い、若い層との対話の機会もつくる予定だ。


 しかし、党の要職の身としては、選挙期間中、他の党公認候補からの応援要請が少なくない。その数を出来るだけしぼるが、「候補者本人が地元を離れるのは不安」と、陣営幹部はいう。


 というのも、過去3度戦ってきた民主前職の田名部匡代が、父で民主党県連代表の匡省と二人三脚で選挙区をこまめに回っていることへの懸念がある。


 大島の選挙活動の「実動部隊」となる県議や市議からは「運動量は大島の倍」「スキンシップが選挙に効果的だ」などの声が上がる。


 しかし、田名部も今回の選挙は「背水の陣」の戦いだ。


 大島に過去3回、一度も小選挙区で勝てていない状況が重くのしかかる。


 00年の選挙で2万9千票あった差を前々回03年は1万7千票差に縮めたが、前回はほぼ同じ1万7千票差。2度の当選は、議員の死亡に伴う繰り上げと、比例による復活当選でしかない。


 衆院解散から1週間後の7月28日夜。田子町の中央公民館で、田名部は「ハッスルトーク」と題した国政報告会を開いた。まず匡省がマイクを握り、「今度は何としても匡代を小選挙区で勝たせてください」と顔を紅潮させた。続いて、田名部が「党に風が吹いているというが、3区には吹いていない。投票率を上げ、歴史の大転換がここでも起きたと示したい」と声を張り上げた。


 過去3回、匡省の後援会組織に頼る戦いが続き、大島側も「(有権者は)だいたい色分けされている」と言っている。田名部の毎回の苦戦はそこに原因の一つがある。


 そこで、投票率をあげ、無党派も多い若い支持層の票の開拓に精を出す。12日には「若者の集い」と題した集会を開いた。


 公示日翌日の19日には、鳩山代表が八戸入りして街頭演説をすることも決定した。大島との「八戸戦争」に、「民主党対自民党」の対決構図を演出することで優位に立とうとのもくろみだ。


 8日に事務所開きをした建物の中には最近まで、こんな文言を大書した紙が壁に張られていた。


 「決着の夏」


 幸福実現の中西修二も支持者獲得へ力を注いでいる。=敬称略


(川上眞、栗田有宏)


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