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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

3202千葉9区:2009/08/08(土) 15:16:47
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090808ddm005010003000c.html
夏にかける:もう一つの戦い/2 町村信孝氏(自・前) 「あと一歩」足元揺れ
 <衆院選まであと22日>

 ◇領袖苦悩の夏にかける
 「元気いっぱい、投票日に向けて頑張っております。よろしくお願いします」

 1日、札幌市の東隣の江別市。さわやかな青空の下、ジンギスカンやイカ焼きの屋台が建ち並ぶ夏祭り会場に、チェックのシャツ姿で現れた自民党町村派の町村信孝会長(64)=当選8回=は拡声機のマイクを片手に深々と頭を下げた。

 町村氏がこの日、地元(北海道5区)で訪れた夏祭りは8カ所。各テーブルを回り一人一人に名刺を手渡し、しっかり握手。20年以上前の新人時代のように頭を下げ続けた。

 自民党に向かう逆風は文部科学相、外相、官房長官を歴任し、党最大派閥の会長でもある町村氏にも容赦なく襲いかかる。党や陣営が独自に行った情勢調査では、民主党の元職、小林千代美氏がときに上回ることも。「実績も格段に違うのに、何で……」。秘書の一人は言葉を失う。

 町村氏は当選5回で初入閣を果たし、主要閣僚もこなし、派内での地位を固めた。支持率低迷にあえぐ麻生政権では、中川秀直元幹事長らが「麻生降ろし」に走るなか、一貫して政権を支持。2月に会長昇格を決めた。

 自民党のこれまでの常識では、首相の座まであと一歩となるポジション。だが、自民党が下野の危機に直面し、そうした常識が根底から覆る可能性が指摘されるなかで、町村氏は自らの去就を決めにくくなっている。

 麻生太郎首相の自民党総裁任期は9月30日に切れる。同派議員は「町村さんは党総裁選出馬への意欲を捨てていない」と語るが、93年に野党に転落した際に自民党総裁に就任しながら首相になれなかった河野洋平前衆院議長のケースは当然、町村氏の念頭にある。

 かといって64歳という年齢を考えると、「次」が必ずあるとは限らない。「世代交代」の歯車が回る恐れもある。

 「衆院選後のことなんて、今は考えられない」。町村氏はかわし続ける。

 最大派閥の足元も揺れている。森政権以降、4代続けて首相を出したことで、「寄らば大樹」の議員心理も働き、町村派の勢力は現在89人。衆院は62人に上る。ただ、そのうち、当選2回までの若手が半数近くを占める。選挙基盤は弱く、派内では「選挙後の勢力は4割は減る」などの悲観論さえ聞かれる。

 派閥離れも着実に進行している。

 「派閥幹部を呼んで大集会を開いても、離れた党支持層は取り戻せない。ミニ集会や団体回りをこまめにやり、自分という政治家を理解してもらうしか生き残る道はない」(町村派若手)

 解散後、町村氏が応援に出たのは、愛知と宮城の2カ所だけ。他の領袖も同様だが、派閥領袖が地元張り付きのような状況になっている奇妙な状況の背景には、町村氏自身の選挙情勢だけでなく、選挙のてこ入れもままならない派閥のたそがれが見て取れる。

 「日本経済は、私が責任を持って立て直します」。政策通を自負する町村氏は1日、札幌市の夏祭り会場でこう強調したが、待望論の盛り上がりはまだ見えない。「党の顔」になるために、どう超えるか−−。苦悩は深い。=つづく


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